「記憶」を鍵に綴られる中国近現代史の側面 丁 乙 / 東京大学東洋文化研究所特任研究員・中国美学・詩画比較論 週刊読書人2023年3月17日号 千年の歓喜と悲哀 アイ・ウェイウェイ自伝 著 者:艾未未 出版社:KADOKAWA ISBN13:978-4-04-111963-1 艾未未(アイ・ウェイウェイ、一九五七〜)は一九八〇年代から活躍している現代アーティストで、中国国内よりも海外で評価されている。現代アートは性質上、言説による裏付けが必要であり、それは現実の社会的・政治的問題と深く関わる。そのため、艾未未は社会評論家、社会運動家としても広く知られている。『千年の歓喜と悲哀アイ・ウェイウェイ自伝』は、「訳者あとがき」も指摘するように、その三分の一が艾未未の父であり、詩人として名高い艾青(アイ・チン、一九一〇-九六)のことに費やされている。父・艾青が文化大革命の影響で、新疆ウイグル自治区の労働改造所などを転々としたことに従った幼少時。政治に翻弄されながらも、自己の精神を保とうとする父の態度。これらに影響され、艾未未は人生の輪郭が形作られていった。 二〇世紀前期の中国は、西洋思想が輸入されたが、封建的思想も根強い時期であり、艾青はパリ滞在によって改めて「自由」に開眼する。彼の芸術的ないし人生的思想は「現実と芸術の融合」、「生への愛」(五七-五八頁)を主題とすると要約されているが、それもまた艾未未の思想を貫くものとなった。極言すれば、父子の共通する課題は、アートを武器として現実と戦うことに他ならない。 中心的な主題は、個人と国家の関係である。それを理解するためには、本書に通底するキーワードの一つとして「記憶」が重要となる。我々人間は物事を覚える、より正確にいえば記憶を蓄える行為によって、一種の実存的な力が得られるとされている。それを真正面から表したのが、「国家とは人から記憶を吸い取って漂白してしまう機械だった」(一二七頁)といった記述である。これは、艾未未が六〇年代の石河子市にて、個人的な好みが否定される統一的な都市開発の現状に関して述べたものである。 記憶は、人間を個性的ないし精神的な存在たらしめる。上位の組織が個々人を統治しようとする手段は、それらを抹消することである。政治的運動によって貶された後に名誉回復した艾青が、「海の底から散らばった記憶をさらうのは容易ではない。海水で錆びたり、元の艶を失っているものも多い。長いあいだ、私は世界から切り離されていた。」(一五四頁)と自白していることは印象深い。 こうした力をもつ記憶は、艾未未の芸術作品を捉えるための鍵とも考えられる。例えば西洋一八世紀後期までの芸術のミメーシス原理と異なり、現代アートを成り立たせるのは美的・感性的な作品の結果ではなく、その生成過程への沈潜、知性的な働きによる芸術家の意図への接近である。「アートは単純にアイデンティティであり、それだけだ。」(一八七頁)と艾未未は言い切っている。彼は、この著作の後半では幾つかの重要な作品やプロジェクトの生成過程を記している。そして芸術制作を模索するなかで、徐々に記憶を記録することではじめて人間に実体を与えられることを意識し始める(一八三頁)。多くの社会事件をドキュメンタリーとして制作し、ただカメラを回すが、それは「人間の記憶の一部」である視覚的な記録として、「〔上位の組織が〕抑圧しようとしてもずっと消えないもの」(二三三頁)としている。また、それは発声できない人々のためでもあるという。 題名からも明らかなように、本書は一人間や一家族をめぐる記述よりも、千年にわたるより大きな叙述を目指している。艾未未は艾青を、国内外の戦争を含む二〇世紀の社会的・政治的なうねりを経験した、かつ自らの軌道と連結する知識人の一典型と見做している。実際に本書では、艾未未は艾青のことを「父」と「艾青」の二通りに表記している。留意してみれば、主として私的な話(父の恋愛、家族との関係など)に関しては前者、公的な場面(社会からの扱い、権力者とのやり取りなど)に関しては後者が用いられている。しかし、同じ段落もしくは一つの長文の中で、「艾青」から始まる呼称がのちに「父」となる場合も少なくない。これは客観的に歴史的物事を語ろうとしたにも関わらず、最終的に「父」としての地点に戻っていくかのようである。 千年規模の物語は、こうした父子の連結において叙述されている。そうした個人的な愛着の中でも、書名「千年の歓喜と悲哀」のように、現実の不合理と戦って感じた種々の無力さに先立って、まず生の喜びがあるとされている。記憶を重視する本書は、父世代の出来事から細かく記すことを通して、中国近現代史の一面を垣間見せている。(佐々木紀子訳)(てい・おつ=東京大学東洋文化研究所特任研究員・中国美学・詩画比較論)★アイ・ウェイウェイ=中国の現代美術家・アーティスト。八〇年代初期からアメリカ合衆国に住み、九三年に北京に戻った。人権と言論の自由を主張するアーティストとして世界で作品が展示され、ソーシャルメディアでも活躍する。人権財団から創造的反体制に対する「ヴァーツラフ・ハヴェル賞」、アムネスティ・インターナショナルから「良心の大使賞」、「高松宮殿下記念世界文化賞」など、複数の受賞歴がある。一九五七年、中華人民共和国・北京生まれ。