言葉からこぼれる深い葛藤を低い目線から追う 小池昌代 / 詩人・作家 週刊読書人2023年3月17日号 彼女のことを知っている 著 者:黒川創 出版社:新潮社 ISBN13:978-4-10-444412-0 貫くテーマは人間の「性」。著者の自伝的小説と読める。フリーラブ、フリーセックスがヒッピー文化とともに沸き起こった七〇年代の京都から、男女雇用機会均等法の八〇年代、そして#MeToo運動の今世紀に至るまで。時代毎、様々なキーワードが誕生するなか、現実の諸相はいつだって複雑で、生身の人間世界には、常に言葉からこぼれる深い葛藤がある。本書はその微妙な隙間に焦点をあて、低い目線から時代の流れを追う。 ヒッピーたちが作ったという喫茶店「ロシナンテ」が出てきたあたりから、小説世界がにわかに躍動し始めた。ボーヴォワールとサルトルに影響を受けた両親が離婚、当時、小学生だった「私」は、学童保育代わりに「ロシナンテ」に放り込まれる。そこに出入りする若者たち。流入するウィメンズ・リブの思想(「男ブタ」という言葉を本書で初めて知った)。誰もが「私」を子供扱いしない。なかに、断髪の、サキさんと呼ばれる五〇歳くらいの女性がいた。「ただの生身で」、「思ったことを実行してきた」その姿に、皆が一目置いている。英会話教室を開いたのはゲイのリチャードだ。初回はerect(勃起する)とelect(選挙する)の違いに費やされた。笑った後に私が思い出したのは、英語教育者、中津燎子のこと。本書に出てくるわけではないが、彼女は通じない日本式英語に衝撃を受け、自身が受けた厳しい発音訓練を通して考えたことを『なんで英語やるの?』の一冊にまとめた。文化論に及ぶその実践的方法には日本の戦後史が透けてみえる。これも七〇年代の出来事だった。このように、その時代を知る人が本書を読むと、自分の記憶が次々吹き出して来て、歴史に合流するような面白さがある。その時代を知らない若い読者にとっては、#MeToo運動に至るまでの社会の諸相が、単なる知識や情報でなく、当時の空気をまといながら「経験」として入ってくるだろう。 ⅱで描かれているのは、再婚後生まれた一人娘を前に、性を語り惑う父としての「私」。娘がひたすら無事に生き延びることを願い、避妊、中絶、セックスの意味について語る。無防備で疑うことを知らぬ二十歳前の娘が、これからの荒野をどう生き抜いていくのか。娘の未来と父の過去が、瞬間、すれ違って、切なくなる。 ⅲの『カトリーヌ・ドヌーヴ全仕事』が面白い。ドヌーヴを含む女性一〇〇名が、二〇一八年、#MeToo運動を批判し、「性的自由に不可欠な「言い寄る」自由を擁護する」という趣旨の一文を含む共同声明を発表したことはよく知られている。ハリウッドのカリスマ、ワインスタインの長年に渡るセクハラ問題が報道された翌年というタイミングで、声明には相次ぐ批判があった。本書は正論を導き出さず、揺れや迷いをそのままに書く。だから読む方も一人ひとり、時代の当事者として考えなければならない。ドヌーヴは結婚制度を時代遅れと批判した女優。一〇九歳で亡くなった彼女の母親も俳優で、最初の子供を未婚で出産している。ドヌーヴが、「とりわけ輝かしく見えるのは……彼女が六〇代に達してからの仕事ぶり」。冷たい美貌の彼女しか知らぬ人には、もう一人のドヌーヴ、もう一人の映画狂が見えてくるはず。それにしても、編集長交代によって、『―全仕事』の執筆内容に変更が打診される場面は身につまされる。私たちは今、あらゆる自由を剝奪しようとする力と闘っているのではないだろうか。(こいけ・まさよ=詩人・作家)★くろかわ・そう=作家・評論家。著書に『かもめの日』(読売文学賞)『国境〔完全版〕』(伊藤整文学賞・評論部門)『京都』(毎日出版文化賞)『鶴見俊輔伝』(大佛次郎賞)など。一九六一年生。