二〇世紀前半の中国東北地方の実態を示す 西澤泰彦 / 建築史家・名古屋大学環境学研究科教授 週刊読書人2023年3月17日号 満洲国の近代建築遺産 著 者:船尾修 出版社:集広舎 ISBN13:978-4-86735-039-3 本書は、写真家が撮影した建築物の写真を並べることで、「建築物を通して浮かび上がる満洲国の実像」(本書の帯)を示した写真集である。並べられた写真は三六九枚で、写真家が撮影した写真であるだけに、迫力がある。そして、これだけの写真を撮るためにどれだけの時間と労力をかけたかは、実際に同じことを経験した者でなければ実感がわかないかもしれないが、労作であること間違いない。 中国で写真を撮ることは、いつの時代にも危険が伴う。私が初めて中国を調査旅行した一九八五年の中国では、庶民がカメラを持つことがなかったため、外国人がカメラをぶら下げて街を歩けば、目立つこと極まりない。カメラを構えれば、すぐに黒山の人だかりができてしまう。ある時、大連ヤマトホテルの前でカメラを構え、ファインダーを覗いたら、中国人の顔があったのには仰天した。おかげで、それ以後、カメラを構えたら瞬時にシャッターを切る術を身に付けた。それに比べて誰もがスマホを持つ時代、カメラに関心を示す中国人は皆無に近く、写真も撮りやすくなったと思いきや、二〇一四年に制定された「反スパイ法」のおかげで、市街地で建物の写真を撮ること自体が窮屈になった。 さて、本書は、概ね中国東北地方で一九四五年までに建てられた建築物の現状写真を並べることで満洲国の実像を示そうとしている。その手法は、文献に依らない歴史を示す手法として有効であり、満洲国の実像を示すことにある程度、成功している。満洲国を扱った研究は、近代史や経済史の分野で先行し、法律、文学、教育、都市計画、建築、農業という分野に広がり、さまざま研究が成立してきた。その中で問われてきたことのひとつに、「実態」「実像」をどう把握し、どう示すか、という課題があった。 たとえば、経済史では、それを産業別の生産額などの数値で示してきた。数値を指標化することで、満洲国の実態・実像を示す手法である。このような方法に比べて、いちばん分かりやすい方法が、実際に建てられた建物を示すことであった。建築史家村松貞次郎は著書『日本の近代建築』のあとがきに「建築はもっとも雄弁に時代を語る存在である」と書いた。建築物は、資金を出す施主、設計監理をおこなう建築家、施工をおこなう施工業者と現場での職人や労働者が一体となった活動によってつくられる人工物であり、何か一つ欠けても建築物は生まれてこない。言い換えれば、建築物は、それを産み出す社会の成熟度や社会システムの成立度合いを示す存在である。それを考えたとき、本書の試み、すなわち、実際に建てられた建物の写真を並べることで満洲国の実像を示すという試みは、歴史研究の手法として、有効であると誰もが認めるであろう。 ところで、先ほど「満洲国の実像を示すことにある程度、成功している」と書いた。「ある程度」と評したのは、次の二点について、本書には物足りなさを感じるためである。一点目は、タイトル「満洲国の近代建築遺産」と掲載物件の齟齬である。満洲国の実像を示すのが目的ならば、満洲国(あるいは満洲国政府)が存在していた時期の建築物とそれ以前に建てられた建築物を区別し、両者を比較することで、初めて満洲国の実像に迫れるのではないかと私は考える。横浜正金銀行長春支店、満鉄奉天駅、瀋陽総駅(瀋陽総站)、大連ヤマトホテルといった満洲国成立以前に竣工した建築物と、満洲国国務院庁舎など満洲国が存在していた時期の建物を区別することなく並べるのなら、それは満洲国の実像を示すのではなく、二〇世紀前半の中国東北地方の実態を示すものである。 二点目は、末尾に付けられた「解説」の内容である。それは、残念ながら、私が一九九〇年代から一般に公表してきた論著をはじめとした既往の研究の引用に終始しており、写真家ならではの解説がないのが残念である。「解説」を読んでいると、拙著、拙稿を読み直している錯覚に陥ってしまう。しかし、せっかく、これだけを写真を並べたのであるから、建築史家よりもはるかに芸術分野に精通している写真家としての「建物評」を期待するのは私一人ではないと思う。 最後に私事で恐縮だが、著者と私は同年生まれである。それゆえ、高度経済成長期に育った世代として、二〇世紀前半の建築物に郷愁を覚えることはなく、歴史を示す存在として冷静に、客観的に見ることのできる世代である。本書に収録された建築物の意味を私ももう一度問い直してみたい。(にしざわ・やすひこ=建築史家・名古屋大学環境学研究科教授)★ふなお・おさむ=写真家。著書に『アフリカ豊饒と混沌の大陸』『カミサマホトケサマ』『フィリピン残留日本人』など。一九六〇年生。