国内研究における一貫した態度が光る 岡嶋隆佑 / 新潟大学准教授・哲学 週刊読書人2023年3月24日号 ベルクソン思想の現在 著 者:檜垣立哉・平井靖史・平賀裕貴・藤田尚志・米田翼 出版社:書肆侃侃房 ISBN13:978-4-86385-556-4 『創造的進化』(一九〇七)の大成功によって、コロンビア大学での講演がマンハッタン・ブロードウェイの最初の渋滞を引き起こしたと噂されるほどにまで至ったベルクソン哲学そのものの衝撃を第一波とすれば、ドゥルーズによる「差異の哲学」としての再解釈は第二の、ユードによる講義録の編纂とヴォルムスによって組織された研究者集団による原書校訂版の整備・新たな雑誌の刊行(『ベルクソン年鑑』:二〇〇二—二〇二〇)――いわゆるベルクソン・ルネサンス――は、ベルクソン哲学第三の波と言うことができるだろう。二〇二一年以降、私たちは新たなフェイズを迎えつつある。『年鑑』を引き継ぎ、国際性を押し出した専門誌『ベルクソニアーナ』が創刊され、昨年ここ日本ではわずか一年の間に(文庫化も含め)五冊の研究書が矢継ぎ早に出版されたのである。本書は、それらの著者が一堂に会したトークイベントのライブ感溢れる記録であり、標題にある「現在」は、まさにベルクソニスム第四の波を指し示すものである。 収められた四つの対談は、ちょうどベルクソンの主著――『時間と自由』(檜垣×藤田)、『物質と記憶』(檜垣×平井)、『創造的進化』(藤田×米田)、『道徳と宗教の二源泉』(平賀×藤田)――に対応している。各章冒頭には、現在の国際的な研究シーンをリードする平井と藤田による著作解題(コラム「3分でわかる」)が付されており、通読すればベルクソン哲学の全体像と研究動向、登壇者らの著作概要を一挙に把握することができるだろう。冒頭の年譜や、付録として添えられた、日本語で読める基本文献のリスト、対談にも登場する関連書籍の紹介などのおかげで、全体として、ベルクソン哲学に関心があるすべての読者にとっての最良の道案内という構成になっている。 専門的観点から見ても、本書は、ルネサンスの成果を十分に消化した新世代の研究動向の包括的な紹介を、仏語・英語圏に先駆けて行ったという点において、まずもって評価されるべきだろう。だがそれだけでなく、それぞれの対談が、海外の研究には見られない、日本の研究者たちの一貫した態度を示しているという点にも注目したい。それは、世代交代がなされつつある現在でもなおテクストに向き合い続け、ベルクソン自身の思考の流れを精確に捉えようという姿勢である。解釈研究がある程度進んだ分野では「領域横断性」や「国際性」それ自体が目的化される傾向にあるが、国内の、とりわけ本書の著者たちにとって、観点が多方面に広がっていることは結果であって目的ではない。平井が序章で吐露しているように、私たちはまだベルクソンの思想について「わからないことだらけ」なのであり、「道具として使えるものは何でも」使った結果として、デリダ(藤田)やアレクサンダー(米田)、神秘家(平賀)等々へと研究が自然に開かれていったというのが実情である。本書の企画に近いものとして、二〇〇九年に檜垣が合田正人および故金森修と『思想』のベルクソン特集号で行った座談会「ベルクソンの過去から未来へ」を今改めて読み直すと、こうした研究の特色の継承関係がよくわかるだろう。 最後に、本書の元になったイベントが、福岡の、それもブックカフェ(「本のあるところajiro」)という場で行われたことは特筆すべきことだろう。首都圏の大学に所属していると、新たな思想や動向も中央で生まれるものだと思ってしまいがちであるが、ちょうどベルクソン自身、(パリでなく)アンジェやクレルモン=フェランでの教師生活の中で持続概念を創造したように、地方で生じる思想というものがあり、それについて人々が考え、共有し、対話する場所がある――評者自身、地方都市へ移り住み、福岡の馴染みの研究者たちの活動を振り返ったとき気付かされたのは、そうした場と時の豊かさであった。(おかじま・りゅうすけ=新潟大学准教授・哲学) ★ひがき・たつや=大阪大学教授・哲学。★ひらい・やすし=福岡大学教授・近現代哲学。★ひらが・ひろたか=立教大学兼任講師・フランス文学・哲学。★ふじた・ひさし=九州産業大学教授・哲学・フランス現代思想。★よねだ・つばさ=大阪大学助教・フランス哲学・生物学史。