近代国家の歩みと、悲劇の証人 櫻井信栄 / 日本文学研究者・韓国語翻訳者 週刊読書人2023年3月31日号 琉球切手を旅する 米軍施政下沖縄の二十七年 著 者:与那原恵 出版社:中央公論新社 ISBN13:978-4-12-005605-5 第二次世界大戦において日本本土防衛の捨て石とされた沖縄の地は、二〇万人を超える戦没者を出した凄惨な戦いを経て米軍の施政下に長く置かれた。米軍が民間人「保護」の名目で建設した各地の収容所に住民がとどめられる中、郵便制度は互いの安否を知る手段として無料で再開され、「人のしあわせが、ただ一片の通信にかかっていた」(一家全滅により受取人があらわれない郵便物も相当数にのぼった)時代の後に、沖縄の文化と時代情勢を反映したデザイン、B円(米軍が発行した軍票)やドル・セントの額面表示を備えた「琉球切手」が作られた。 琉球切手は国内外への郵便に用いられたほか、その伸びやかな図柄と明るい色彩からコレクション用として大変な人気を博し、外貨獲得に寄与すると目され、新しい切手の発売日には郵便局に行列が出来るほどだった。琉球切手のカラー写真は本書の表紙やインターネット検索を通じて見ることができるが、沖縄の長い歴史と豊かな文化、人々の暮らしと風物を鮮明に伝えて実に魅力的である。一九四八年に琉球独自の切手が発行されて以来、沖縄の本土復帰を控えた一九七二年四月まで、計二五九種の琉球切手が発行された。 沖縄出身の両親を持ち東京で暮らしていた著者(一九五八年生まれ)は、本土復帰前の沖縄から届く封筒に貼られた「見たことのない南国の植物、鮮やかな色をした魚、紅型紋様、琉球舞踊、文化財や工芸品」などの美しい切手を「沖縄と私をつなぐ小さな扉」として記憶していた。やがて功成り名を遂げた著者は、幼い頃に触れた琉球切手の歴史を知るための旅に発つ。その旅は必然的に沖縄と東アジア・太平洋地域の歴史、そして自らのルーツをたどるものとなった。 本書を読むと、苦難の時代にも美術と芸能を尊んできた沖縄の歩みと、著者が綿密に調べ上げた琉球切手の制作にたずさわる美術家たちの華やかな人脈図に圧倒される。その多くは日本本土の官学で学んだ者たちで、いわばエリート層の紳士録の様相を呈しているのだが、いっぽう沖縄の庶民たちが戦火によって、また戦後の暴政によって物言わぬ死者となり、後世に足跡を残すことなく消え去ったその責任は、沖縄の地政学的位置を利用し、太平洋地域での覇権を目論んだ帝国主義日本(さらに米国)にあることは論を俟たない。そして今日このような歴史を本土の日本人は都合良く忘れ、そればかりでなく沖縄の反基地闘争を嘲笑する西村博之(ひろゆき)と、そのフォロワーたちを生み出す始末である。彼らに対しては全く呆れるしかないが、ぜひ本書を一読することを勧めたい。 私の関心に引き寄せて言うと、私の父方の祖母が徳之島出身であることから、沖縄と奄美群島の関わり(琉球王国は隣交関係にあった奄美の島々を武力で制圧し、米軍施政下でも奄美出身者は劣悪な生活条件に置かれた)を興味深く読んだ。もうひとつ興味深く思ったのは、子どもに聞かせたくない困りごとや二人でなければ分かり合えないことを、著者の両親がウチナーグチ(沖縄の言葉)で話しており、幼い著者はそれを聞き取ることが出来なかったという体験が在日コリアンのそれと重なることである(日本で生まれ育った子どもが両親の会話を聞き取れないというシーンが金鶴泳の小説に登場する)。また、私は家族を北朝鮮に帰国させた在日コリアンから、その家族が北朝鮮の発展ぶりは切手を見れば分かる、どうか切手を表からも裏からも見てほしいという手紙を何度も寄越すので、ある日切手を剝がしてみたところ、切手の裏面に「来るな」と書いてあったというエピソードを聞いたことがある。切手は近代国家の歩みと、それが生み出す悲劇の証人なのである。 沖縄の本土復帰から五〇年が過ぎた。来年には一万円札の図柄が福沢諭吉から渋沢栄一に代わるというが、その国家主義的・復古的発想の何と貧しいことか。本書は近代日本が発展のかたわらで本土周辺を植民地化し踏みつけにしてきた、その歴史を理解することへの扉となるだろう。(さくらい・のぶひで=日本文学研究者・韓国語翻訳者)★よなはら・けい=ノンフィクション作家。著書に『物語の海、揺れる島』『首里城への坂道 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』『帰る家もなく』『赤星鉄馬 消えた富豪』など。一九五八年生。