謹直なまでの抑制を貫きつつ全体像を提示する 森元庸介 / 東京大学大学院総合文化研究科准教授・思想史・芸術論 週刊読書人2023年3月31日号 パゾリーニ 著 者:四方田犬彦 出版社:作品社 ISBN13:978-4-86182-943-7 二段組にして一一〇〇頁に届こうとする全二四章、ふたつの補論とともに、捧げられた情熱がそのままひとつの客体となって現れるかのようだ──誰もがそう認めるにちがいない質量のうちには、むろん、著者ならではの私的な回想や自由な連想が挿まれる折があり、これまた著者ならではというほかない至芸によって、ローマ女たちの諍いが「大阪のみなみの言葉」へ移し替えられるといった遊戯性が顔を覗かせる折もある。だが、全体を貫くのが謹直なまでの抑制であることは、本書は通読した誰しもがまた認めるところにちがいない。 記述は奇を衒うことなく、大枠において時系列に即しながら進行する。未完のまま残された『石油』、『ポルノ゠テオ゠コロッサル』といった最晩年の計画を含め、取り上げられるかぎりほぼすべての著作や映像作品について、制作の状況と内容の要約が丹念に前置きされる。詩篇であれば、その全体が書き写されることも少なくない。そのうえで加えられる分析は、二〇世紀イタリアの複雑な文化・政治・宗教的文脈を踏まえることはもちろん、ダンテ以来の詩的伝統に加え、ギリシア文学──悲劇が問題となるのは当然であるとして、それと同じく、あるいはそれ以上に重要な位置を占めるのはルキアノスに始まる哄笑文学(メニッペア)の伝統だ──、細部に渉りもする聖書釈義や神学的な議論、絵画史、さらに音楽史、フロイトばかりでなくユングからも酌まれる精神分析の知見等々を自在に織り込みながら悠然たる軌跡を描きつつ、博覧強記による引照のどれもが作品の具体的な細部と緊密に結ばれ、恣意に流れることが決してない。たとえばアフリカへの視線、演劇についての理解をめぐって批判的な眼差しが向けられることもあるが、それらについては「指摘をするだけにとどめておこう」。なぜといって「パゾリーニの全体像を提示するという本来の意図を忘れ、拙い我説を通すことが本書の目的ではないからだ」。 それにしても、その「全体像」のいかほど複雑であることか。詩人として起ち、やがて小説を手がけ、技術的専門性や映画史的記憶とほぼ無縁に映像の世界へ踏み込み、あるときは集中的に戯曲をものし、かつはまた、挑発的な批評家として政治・文化的闘争の前線に身を持しつづける──そうした活動の多面性ばかりが問題なのではもちろんない。多彩きわまりない側面のそれぞれがまた、反転と断絶を刻まれることなしにはないのだから。ほんのいくつかにかぎって挙げてみよう。キャリアの始まりを徴し、生涯で複数回にわたって為されたフリウリ語(イタリア北東部の少数言語)による詩作は、抒情的な理想化とアカデミズムから見分けがたいほどの厳密化とのあいだを揺れ、最後には、当のその言語の硬直化するさまを見通すかのような寂寥を湛えるに至った。キリストの死は詩作にも早くから現れるモティーフだが、映像作品の側でいえば、『リコッタ』は磔刑をパロディ化してスキャンダルを呼び、そうかと思えば、『マタイ福音書』では、映像そのものの途絶という単純にして大胆な選択をつうじて、出来事の象りようもなさそのものが刻み込まれる。後者で聖母マリアを演じもした実の母スザンナへの深い愛着は明らかである。だが、『オイディプス王』を想起するまでもなく、そこにはまた、名状するのがむずかしい心理複合の陰影がともなう。その反面で、ファシストであった父カルロ・アルベルトに向けられた嫌悪のうちにナイーヴなほどの愛着めいた思いが仄めく折々もあるのだった。性愛をめぐって昼と夜とで著しいコントラストを成した、いうなれば二重の生のことはあえて言及するまでもないほどだ。本書に引かれる中世神学の定式がいう「相反するものの一致(coincidentia oppositiorum)」、あるいは期せずして死の年となった一九七五年、『生の三部作』をみずから否定する声明に冠された言葉を用いるなら「アビューラ(棄教、信仰の放棄、撤回)」の数々を仔細にたどる行論は、混濁や混沌とは無縁でありながら、しかし、たしかな緊張の気配に満ちてもいる。 そのうえで、本書の試みにとってもっともクリティカルな緊張が何であるのかを問うてみれば、パゾリーニの死という出来事そのものに思いを致さざるをえない。「序に代えて」に始まり末尾まで繰り返し指摘されるとおり、「パゾリーニはつねに死という観念に憑かれていた」。一九七二年にまとめられた論集『異端経験』のなかでかれは述べている。「死は生の電光のごときモンタージュである」と。「定めなく不確実な」現在から「本当に意味ある瞬間だけを選び」、それを「明快で安定し確実な」過去に変える死、そうした「死があるおかげで、人ははじめて生を自己表現のために用いることができる」のだと。美しい、おそらくは美しすぎるその一節を前に著者はあえて反問する。「だが、はたしてそうだろうか」。無惨な、そして語弊を承知でいえばそれ自体として無意味なものである死が、パゾリーニ自身によってあたかも予告、さらには願望されていたかのように映ってしまうこと。本書に取り組む著者にとって、そのことこそがなにより受け容れがたいものなのだった。「死は中断にすぎず、〔……〕パゾリーニの生は、死によっていささかも完結しなかった。だから、その生が深く期待し実現できずに終わったものを謙虚に引き受け、行く先を見届けなければならない」。評伝を捧げる人物そのひとの言葉に背いてまで、死ではなく、あくまで生を、あるいはベンヤミンに倣って著者がいう「死後の生(Fort-leben)」を見据え、そのために書くこと。この峻厳なまでの意志に照らすとき、母スザンナがひそかに書き残した中世に遡る一家の年代記から説き起こすことが必然の選択であったのだと深く確信される。さらにまた、それでもなお必然として語らざるをえない死の経緯を語って本論を閉じるのではなく、パゾリーニ殺害の犯人として逮捕された──真相が少なくともそれに尽きるのでないことは今日ほぼ疑いえないとされている──当時一七歳の少年ピノ・ペロージがたどった生に共感に充ちた記述を捧げていることも同じく必然の選択であったのだと。 本書に「あとがき」がないことも偶然ではあるまいと付言したうえで、最後に、意匠に眼を向けてみる。表表紙にパゾリーニの写真とともにあしらわれているのは未完の遺作『石油』の「フィナーレ」である。そして、裏表紙に掲げられているのは初期詩篇「死んだ若者」である。終わりから始まりへ。死から生、あるいは死の影とともになお強く生きられた生へ。間然するところなくまっとうされたモニュメンタルな一書は、かくして、パゾリーニそのひとの生と同じく、終わりのない問いかけを切実に呼び求めている。(もりもと・ようすけ=東京大学大学院総合文化研究科准教授・思想史・芸術論)★よもた・いぬひこ=映画誌・比較文学研究家・詩人。著書に『大島渚と日本』『われらが〈他者〉なる韓国』『貴種と転生・中上健次』『戒厳』など。一九五三年生。