非常時の世の中で正気を保つために 太田明日香 / ライター・作家 週刊読書人2023年4月7日号 さみしさは彼方 カライモブックスを生きる 著 者:奥田直美・奥田順平 出版社:岩波書店 ISBN13:978-4-00-061582-2 「カライモ」と聞いて、「サツマイモ」のことだとぴんと来る人はどれくらいいるだろうか。カライモは九州の言葉だが、その名を冠した古本屋が京都にある(あった)。「ある(あった)」と書くのは、二〇一八年に亡くなった石牟礼道子の水俣の自宅に今年の夏、移転するからだ。店主は、この本の著者である奥田直美さんと奥田順平さん。九州に縁もゆかりもない二人がその名をつけたのは、敬愛する作家・石牟礼道子がいたからだ。石牟礼道子は、水俣病の患者たちの姿を『苦海浄土』に著した。二人は石牟礼道子の文学を通じて水俣や水俣病に出会い、移住しようとしたがその時は果たせず、二〇〇九年ふるさとの京都で古本屋を開いた。二〇一九年立ち退きにより、京都市内で一度移転。そして今夏、水俣に移転が決まった。 そんなタイミングで出版が決まったこの本に収められているのは、二〇一三年に創刊した店のフリーペーパー『唐芋通信』に収められた文章や、ここ一〇年間直美さんが『京都新聞』や『西日本新聞』等に寄稿した文章だ。『唐芋通信』には、石牟礼道子から名前をもらった二人の娘の「みっちん」も参加して三人四脚で作っている。とはいえ、古本屋の日常を描いたものというよりは、直美さん曰く「家族で書くお便りのような通信」(ⅺページ)だという。すると、あたたかくて楽しい家族の身辺雑記を想像しそうなものだが、みっちんが生まれたのは二〇一〇年。四か月のときに東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた。一家の暮らしは、スタートの時点から見えない放射性物質について考えることを余儀なくされた。 水俣病は、チッソ(当時は新日本窒素肥料株式会社)の水俣工場の排水に含まれたメチル水銀が生物濃縮の過程で水俣湾の魚介類に蓄積され、それを食べた人に発症する中毒性の神経疾患だ。水俣はチッソの企業城下町であり、患者でなくとも地域が水俣病と無縁ではいられなかった。また、チッソは化学肥料を作っていたため、肥料を使っていた人、肥料を使った野菜を食べていた人も無縁ではないと言える。だからといって、肥料を使うことも、排水を流すのも個人の力で止めることは難しい。水俣病は、そんな近代社会の矛盾をあぶりだした。 二〇一一年にも同じようなことが起きた。東京に住む人は福島第一原発で発電された電力を使っており、それなしには生活できない。しかし、いくら怖くても自分で原発を止めることや、電力を使わず生活することはできない。直美さんはこのときのことを、二〇二〇年からの新型コロナウイルスの流行下で思い出したという。赤ん坊を抱えて不安だった二〇一一年当時、「正しく怖がる」という言葉があちこちで言われていた。「正しさは、容易ではない」(一四八ページ)と、直美さんは振り返る。 日常をとりまく世界が非常時だという限然たる事実に、目をつぶっていないと生きていけないような世の中だ。しかし、石牟礼道子を読んできた直美さんと順平さんが、麻痺しないとやっていけないように見せかける非常時の風潮が、「まやかし」であると気づかないはずがない。 不安なとき、先が見えないときほど、有名人や力のある人や組織、安心させてくれる大きなものによりかかりたくなる。しかし二人は時代への不安、社会への怒りや憤りを手放さない。かといって、その思いは固く握って閉じられているわけではない。それは「家族で書くお便りのような通信」に、穏やかに、あるいはユーモアを交え、あるいは日常の一コマの中にさりげなく放たれ続ける。直美さんはこう書く。「さみしさを自覚するには、わが身に触れるものに、みずからをひらいていなければいけない。」(ⅵページ)。「できるだけ、自身の及ばないものにひらかれていたい。」(一七八ページ)。 「ひとり」になって、自分の声を聞いて、それを書いて、また社会にひらいていく。直美さんと順平さんはそうやって、閉じたり開いたりしながら、この非常時の世の中で正気を保とうと格闘し続けている。(おおた・あすか=ライター・作家)★おくだ・なおみ=カライモブックス店主。出版社勤務のかたわら、順平と水俣に通いはじめる。退職後二人でカライモブックスを開店。一九七九年生。★おくだ・じゅんぺい=カライモブックス店主。二〇〇六年から直美と水俣に通いはじめる。一九八〇年生。