果てまで、崩壊まで、その次の先へ 宮崎智之 / フリーライター 週刊読書人2023年4月7日号 真珠とダイヤモンド 上・下 著 者:桐野夏生 出版社:毎日新聞出版 ISBN13:㊤978-4-620-10860-5/㊦978-4-620-10861-2 時代はいつだって人間を翻弄する。歴史として振り返ったとき、その渦中で生きた人間は小さなただの一点に過ぎず、時代の大きなうねりに対して抗えない、非力な存在である。 一九八〇年代後半~、バブル景気に沸き立つ日本を舞台にした桐野夏生の『真珠とダイヤモンド上・下』は、まさに時代の迸る流れに翻弄された人間の様を描いている。しかし、たとえ小さな点だったとしても、たしかにそこには人間が存在した。上昇気流に乗って熱狂し、苦悩し、挫折した人間の悲劇があった。「ほんとに凄い時代でした」。本作でそう語られるバブル期の日本を、一九八二年生まれの評者は直接知らないが、物語と登場人物を通してその空気が感じられたと同時に、そこに生きていた人間の鼓動を聞くことができた。本作は時代とともに人間を描き切っている。 伊東水矢子と小島佳那は、一九八六年に証券会社の福岡支店に同期入社する。高卒で大学進学資金を貯めようと、男社会である証券会社の喧騒とは一歩距離を置いて働く水矢子とは対照的に、短大卒の佳那は野心を持ち、株や投資信託などを扱える外務員試験にも合格して上昇志向を周囲に隠さない。ところがその美しい容姿のせいもあり社内では疎まれ、成果を上げても正当に評価されないでいた。同じく同期の望月昭平は、はじめは厳しいノルマをまったく達成できずに軽んじられて苛めにあっていたが(望月もまた、軍隊のような男性社会の犠牲者のひとりだった)、佳那と組み、顧客を紹介してもらったことを足がかりに、支店の営業成績トップへまで昇り詰める。 のちに夫婦となる佳那と望月を最初に結びつけたものは、上昇志向と金である。「次に行く。これが自分のキーワードだ、と望月は思った。次の段階に行く。その段階とは、以前よりもさらによくなること、グレードアップすることだ。(…)常にグレードアップすべく頑張れば、想像したこともない場所に行けるかもしれない」。「次に行く」という決意は、佳那も水矢子も同様に持っている。もちろん株高に沸く時代の空気も影響しているだろう。しかし、ただそれだけではない。その背景には、三人とも家が裕福ではなく、家族とも確執があり、現状を打開して自分を変えたいという強い思いがある。時代の流れはそんな思いに呼応するように、激しさを増していく。 三人が入社した一九八六年は、男女雇用機会均等法が施行された年である。しかし、作中で描かれている証券会社では男女が平等に扱われるどころか、女性が極端に差別されて、男性社員の「花嫁候補」として扱われる。野心を隠さなかった佳那も、そうした境遇や望月の営業センスを目の当たりにするにつれ、望月をサポートし、自身の上昇志向を託すようになる。結婚して望月が東京の国際部に栄転した後は、望月の説得に「折れた」かたちで専業主婦になる。一方、望月は危険な人脈とつながることもいとわず、金儲けと成り上がることに奔走する。佳那も胸の空白を埋めるかのように浪費し、虚飾の世界を生きるようになる。すでに歴史を知っている読者は、その先には崩壊しかないことを感じ取るが、果てまでいかなければ止められないことも、あの時代を知る者だけではなく、躍動する本作の物語を追ってきた者ならば悟るだろう。 そういう意味で、大きな時代のうねりの中では、やはり人間はただの小さな一点に過ぎないのだろう。しかし、どの時代にも、曖昧模糊な現在進行形を生きていた人間の痕跡が刻まれている。ひときわそう実感させられるのが、佳那と望月と交差しながらも、別の道を歩んでいた水矢子の存在だ。ラストシーンでプロローグの意味を知ったとき、評者が抱いたのは、佳那と水矢子、そして望月に対するどうしようもない愛惜の念である。本作で描かれているような理不尽な社会システムや差別は現代にも残っているし、バブル期のような狂騒を今もなお求める者もたくさんいる。 時代はいつだって人間を翻弄するが、それを忘れるのも人間である。桐野は、「ほんとに凄い時代」に翻弄されながらも生きた人間を、読み出したら止まらなくなるその鋭く卓越した筆致で描き切り、歴史として振り返っただけではわからない「痛み」を評者に教えてくれた。(みやざき・ともゆき=フリーライター)★きりの・なつお=作家。著書に『OUT』(日本推理作家協会賞)『柔らかな頬』(直木賞)『グロテスク』(泉鏡花文学賞)『残虐記』(柴田錬三郎賞)『東京島』(谷崎潤一郎賞)『ナニカアル』(読売文学賞)など。他、紫綬褒章受章、早稲田大学坪内逍遙大賞、毎日芸術賞受賞。一九五一年生。