世界をいかに認識するかという問いにも有益 北島雄一郎 / 日本大学生産工学部教授・科学哲学 週刊読書人2023年4月7日号 ボーアとアインシュタインに量子を読む 量子物理学の原理をめぐって 著 者:山本義隆 出版社:みすず書房 ISBN13:978-4-622-09513-2 物理学に精通し、ボーアの論文の翻訳を手がけてきた著者による待望の書である。ボーアとアインシュタインの論文を中心に、前半では量子力学誕生以前、後半では誕生以後の文献を検討している。カバーは本書で詳しく解説されている一九三五年のアインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン(以下EPRとよぶ)による「物理的実在の量子力学的記述は完全と考えうるのか」というタイトルの論文と、同年に同じタイトルでボーアによって発表された論文の写真である。二〇二二年のノーベル物理学賞は「量子もつれ」に関係する研究に与えられたが、もつれはEPR論文において提起された現象であり、シュレディンガーによって名付けられた。本書は、EPR論文に対するシュレディンガーの反応も扱っている。 著者の他の著作である『十六世紀文化革命』のあとがきでは、「歴史学という不案内な『アウェー』での勝負から撤退して、物理学という勝手の知った『ホーム』のゲームにすぐにでも戻りたいという気分があった」と述べられていた。物理学の書であると冒頭で述べられており、本書は「ホーム」での勝負といえるだろう。多くの物理学の書とは異なる本書の特徴の一つは、歴史的な記述や哲学的な記述が豊富に含まれていることである。 まずアインシュタインの光量子仮説を例にとって、本書の歴史的な記述を紹介しよう。アインシュタインは、光の波動論では説明ができない光電効果を光量子によって説明した。光の現象は波動論によって説明される部分と粒子論によって説明される部分があるとアインシュタインは考えたのである。ボーアはこの仮説をなかなか受け入れず、エネルギーと運動量の保存則を放棄することによって光の粒子性と波動性の対立を解消しようとした。しかし、実験結果と整合的でなかったため、結局この試みを取り下げた。のちにボーアは、「光量子という表象はエネルギーと運動量の保存法則を介してはじめて、その物理的内容を理解することができる」と述べている。著者によれば、「同一の物理的存在には波動構造と粒子構造が共存している」という問題こそが、「その後の相補性理論へと行き着くボーアの考察の中心的課題に発展してゆく」のだ。このように本書では、失敗した試みも含めて多くの一次文献に目を配り、相補性などの概念の形成過程を検討している。 哲学的な議論に関する記述も紹介しよう。本書のカバーとなっているEPR論文とボーアの論文の争点は、量子力学の不完全性であった。EPR論文の主張は量子力学が不完全であるというものであり、ボーアはそれに反論した。両者の立場には他にも違いがあった。それは、空間的に離れた二つの系の扱いである。ある系における測定は空間的に離れたもう一方の系に影響を及ぼさないということが、EPR論文における暗黙の仮定であった。それに対して、ボーアは空間的に離れた二つの系が全体として単一の系を形成していると考えた。著者によれば、ボーアの立場は「ミクロな世界でわれわれが研究している対象は、単なる個別の粒子や原子ではなく、実験設定や測定装置の全体を含めた、分割不可能な『現象』ないし『現象的対象』であるという立場」なのである。こうした議論は思考実験の枠組みで行われていたが、その後実験的検証がなされボーアに有利な実験結果が出ている。この結果に関して著者は「《ボーアがまた勝った》というのは誤りであろう」というベルの言葉を引用した上で、「両者の主張が歴史的のものとして共に相対化される日が来る、という蓋然性は決してゼロではないであろう」とコメントしている。 このように本書には、一次文献に基づいた量子力学の歴史的・哲学的な議論が数多く含まれている。そのため、量子力学そのものに興味がある読者のみならず、量子力学形成の過程や、世界をわれわれはいかに認識するのかという哲学的な問いに興味がある読者にも本書は有益であろう。(きたじま・ゆういちろう=日本大学生産工学部教授・科学哲学) ★やまもと・よしたか=元駿台予備校講師・科学史家。著書に『知性の叛乱』『原子・原子核・原子力』『リニア中央新幹線をめぐって』など。一九四一年生。