寄生と共生、そして病気や記憶を研究する 島田祥輔 / サイエンスライター 週刊読書人2023年4月14日号 線虫 1ミリの生命ドラマ 著 者:長谷川浩一 出版社:dZERO ISBN13:978-4-907623-58-6 「チュウブダイガク」と名付けられた生き物を知っているだろうか。中部大学(愛知県春日井市)の裏山にいる、ゴキブリの腸内に寄生する「線虫」という生物である。新種の線虫として命名したときの名付け親が、本書の著者である中部大学の長谷川浩一准教授。「気持ち悪い生き物」という印象の強い線虫について、寄生や共生という生態系の観点から研究している著者が、線虫の巧みな生存戦略や、医学研究への応用を紹介するのが本書だ。 線虫と一言に言っても、多くの種類がある。蝶の中に、アゲハチョウやモンシロチョウがいるようなものだ。寄生虫として有名な回虫も、魚介類を食べたときの食中毒の原因の一つであるアニサキスも、線虫というグループに属する。松を枯らせてしまう松くい虫として知られているマツノマダラカミキリの体内には、マツノザイセンチュウという線虫が生きている。マツノマダラカミキリが松を食べたときの傷口からマツノザイセンチュウが侵入し、この線虫こそが松を枯らせてしまう真犯人なのだ。 さらには、人間に危害を与える線虫もいる。西郷隆盛が患ったことでも知られている象皮病は、象の皮膚のように皮下組織が大きく硬くなる疾患であり、フィラリアという線虫が感染したことで生じるリンパ性フィラリア症の後遺症だ。リンパ性フィラリア症は、現在ならイベルメクチンという薬で治療できる。 ここまで読んでしまうと、線虫に対し、厄介な生き物という印象を抱いてしまうかもしれない。しかし、寄生や共生という観点から観察すると、他の生き物の生態を利用しながら自身の子孫を増やそうという、巧みな生存戦略がうかがえる。 ある線虫は、ターゲットとなる昆虫に侵入すると、隠しもっていた共生細菌を放出する。この共生細菌は毒素をつくり、わずか数日で昆虫を殺してしまう。それだけでなく、線虫が昆虫を食べ物として消化しやすいようにさまざまな分解酵素、さらには他の微生物に横取りされないように抗生物質も共生細菌がつくる。何重にも仕掛けた罠が発動する様子を見ている気分を味わえる。 一方、生命の普遍原理を明らかにする生命科学の研究の場でも、線虫は世界中で使われている。研究で使われる線虫はC・エレガンスという種類で、体長は一ミリメートル。今まで紹介した線虫とは違い、寄生能力はなく、土壌に生息している。 実は、C・エレガンスはノーベル生理学・医学賞を二度も受賞している。一回目は二〇〇二年。一個の受精卵から合計一〇九〇個の細胞ができ、そのうち一三一個が遺伝的にプログラムされた細胞死を実行し、必ず九五九個が残るという研究成果に対してだ。神経細胞は三〇二個だけということも決まっており、匂いや温度などを記憶することもできる。人間の神経細胞は約一千億個とされているので、人間の約三億分の一のミニチュアとして記憶の研究にも活用されている。 二回目のノーベル賞の受賞は二〇〇六年で、遺伝子の機能を制御する「RNA干渉」という現象の発見だ。この現象は人間の細胞の中でも起きており、遺伝子研究に活用されている。また、この現象を利用して害虫駆除をしようという、「RNA農薬」の研究開発も進んでいる。 C・エレガンスは、医学研究にも使われている。人間の病気を再現させ、病気の原因を探ったり、治療薬の候補となる物質を探すための研究だ。アルツハイマー病やパーキンソン病がなぜ生じるのか、どうすれば予防や治療ができるのか、その基礎となる研究も線虫で行われている。また、本書では割愛されているが、ある遺伝子が変化すると、寿命が二週間から三週間と一・五倍になる「長寿遺伝子」とも呼ぶべきものがC・エレガンスにはあることも、追記しておく。 不気味な生物と思われるかもしれない線虫こそ、地球の生態系の複雑さを明らかにするだけでなく、人類の健康に貢献するかもしれないのだ。(しまだ・しょうすけ=サイエンスライター)★はせがわ・こういち=生物学者・中部大学教授・応用昆虫学・線虫学・遺伝学。寄生・共生といった生物間の相互関係に関する研究や、動物の環境適応性に関する研究を主なテーマとしている。一九七八年生。