脱獄王にも壊すことのできなかった〈鎖〉とは 江連崇 / 名寄市立大学保健福祉学部講師・社会福祉学 週刊読書人2023年4月21日号 日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯 著 者:斎藤充功 出版社:論創社 ISBN13:978-4-8460-2180-1 本書は、一九八五年に評伝社から『脱獄王 白鳥由栄の証言』として出版され、一九九九年に幻冬舎から改訂新版が、そして今年二月に論創社から補遺を追加し『日本の脱獄王 白鳥由栄の生涯』として出版されることになった。オリジナル版の発行から四〇年近く経っているが、それでも復刊を求める声があるのは、白鳥という人物の魅力と著者の綿密な取材記録の結晶が、現代社会においても読者に多くの「気づき」をもたらせることが理由ではないだろうか。本書は、今日の犯罪や刑罰、更生保護など多くの問題を考える上でも重要な問いかけをしてくれる。 白鳥は青森、秋田、網走、札幌において計四回の脱獄をしている。最後に収容された府中刑務所では模範囚として務め、一九六一年に五四歳で仮出獄となる。仮出獄後は二年ほど更生保護施設で生活をし、その後は、都内を転々とし一九七九年に病院で息を引き取った。本書は白鳥の脱獄のみに焦点を当てたものではない。白鳥由栄という一人の人物の人生が描かれている。 まず、本書を読み印象的だったことは、著者の対象者への向き合い方だ。著者は一枚の住民票から白鳥の生存を確認し、入院中の病院に出向き、本人と出会い、何回も聞き取りを行っていく。病室で始まった聞き取りは、退院後も公園や居酒屋など場所を変え何度も行われていく。聞き取りは「脱獄王」への伝説的な逸話に終始することはなく、「人間・白鳥」に正面から向き合い、丁寧に対話を重ねていったことがわかる。 また、元看守などの職員や弁護士などの関係者へも丹念な聞き取りを行っており、上質なフィールドワークの記録と言えるだろう。新聞や報告書などの資料も丁寧に読み込み、「白鳥由栄」へのアプローチを試みている。これら聞き取りや資料調査により、白鳥という人物像を描きながら、当時の社会構造についても言及する。その結果が本書を貴重な生活史として読むことを可能としている。 白鳥は、一方的な力による制圧を行う看守が担当の際に脱獄を行う。逆に自身を人間として認め、扱ってくれた看守が担当の日には脱獄をしない。彼の脱獄哲学である。彼の脱獄は、非人道的な扱いをする国家や権力に対する抵抗の手段なのである。本人や関係者からの証言、資料などから脱獄の詳細が描かれているが、四回すべて見事なものだ。その身体能力、計画性、そして絶対に脱獄してみせるという信念を知ることができる。 しかし、本書を読み進めていくと、「人が作ったものに壊せないものはない」という信念を持ち、数々の脱獄をしてきた白鳥にも壊せないものがあったことがわかる。獄中で非人道的な扱いを受け、絶望的な状況の中でも希望を捨てず、手錠を壊し、高い塀を乗り越えてきたあの白鳥でも。 出所後の白鳥は「俺には今も、首に見えない鉄の鎖が縛りつけられているんだ」と言う。自由なはずの娑婆に、壊すことのできない大きな壁があったのだ。白鳥は保護観察による制約を「鎖」と表現するが、はたしてその制約だけが鎖なのだろうか。 出所後の白鳥の生活は、孤独との戦いだったのではないだろうか。長い服役の中で社会は大きく様変わりし、娑婆での生活に慣れるまで時間がかかった。出所後初めての一人暮らしをしたときは楽しかったというが、仕事仲間とのトラブルを機に「鎖」を強く意識することになる。そして人間社会に嫌気が差し、誰もいない山の中で生活しようと考えたこともあったという。その後の生活では楽しみといえば銭湯、競馬、映画を観ることぐらい。白鳥は「自由」になったのだろうか。 本書の終盤にある女性が登場する。アパートの隣の部屋で暮らしていた当時五歳の「友達」である。この友達は白鳥に、「人間・白鳥」として接していた。白鳥には「出所者」ではなく、一人の人間として向き合ってくれる人が何よりも必要であった。白鳥の死後の遺骨はこの友達が引き取り、彼女の家の墓地に丁寧に埋葬された。一人の友達により、白鳥の「鎖」ははずされた。(えづれ・たかし=名寄市立大学保健福祉学部講師・社会福祉学)★さいとう・みちのり=ノンフィクション作家。著書に『陸軍中野学校全史』など。一九四一年生。