遠い「歴史」として切り離さないという誓い、鎮魂の祈り 砂川秀樹 / 文化人類学者 週刊読書人2023年4月21日号 魂魄の道 著 者:目取真俊 出版社:影書房 ISBN13:978-4-87714-495-1 沖縄戦の深い傷が刻み込まれている短編小説五編。 「魂魄の道」では、息子の運転する車で南部戦跡を回る八十六歳の「私」の経験が描かれる。戦争当時十八歳。艦砲弾の破片を受けて負傷した右脚を引きずりながら沖縄本島南部に撤退する途中、女性のか細い声を耳にする。殺して……。その声の意味を「理解」し希望に応えた彼だが、その行動と「理解」をめぐり煩悶し続ける。 「露」では、北部の港で荷揚げ作業をする人たちの戦争体験が語られる。そこには、兵士として中国大陸に行った経歴を持つ者や、沖縄で戦争をくぐり抜けた者たちがいた。中国で進軍する中、避難する村人たちが井戸に毒を入れたため水にありつけず、喉が乾き切った彼らが怒りに任せておこなった蛮行を語る者。それを受けるように、安吉は、沖縄戦の中いかにして水にありついたかを吐露する。その方法は、想像を絶する。 ほか、「神ウナギ」の文安は、スパイ容疑で日本兵の隊長に父を殺された経験を持ち、「闘魚(とーぃゆー)」のカヨは、米軍による収容所に送られた後、幼い弟を亡くした傷を抱える。「斥候」では、自分の密告のせいで、友人の父親がスパイ容疑で日本兵に殺害されたのではないかという苦しみを抱え生きる勝昭が登場する。 これらは小説として描かれた「フィクション」だが、沖縄戦についてよく知る者は、現実に起こったことを写し出したものとして読むだろう。実際に、「闘魚」には、参考資料として沖縄戦を記録した書籍の名が挙げられている。 沖縄出身で五〇代半ばを過ぎている私は、読み進めながら、小中高時代に沖縄で触れた沖縄戦の記録を思い出していた。小学生のとき教室に置かれていた沖縄戦の写真集には、折り重なった死体やハエがたかった死体が、そのまま掲載されていた。日本兵によって、避難したガマ(洞窟)を追い出されたり殺害されたりした住民のこと、集団自決においやられた人たちのこと。ガマで泣き止まない赤子を自ら殺してしまった母親のこと。そのような経験談を繰り返し聴きながら育った。 しかし、そんな沖縄でも戦争経験を改ざんするような動きが起きている。一九九九年、新しい沖縄県平和祈念資料館の展示物「ガマの惨劇」の模型展示案が、展示内容を決める監修委員の承諾を得ないまま、県により変更されていることが明らかになった。当初、日本兵が住民に銃を向けていたが、「日本兵の残虐性が強調されすぎないように配慮する」という方針で、銃などが取り払われたのだ。判明した変更内容は一八項目に及んだ。このときは、県民の批判を受けほとんどが撤回されたが、二〇一二年には、やはり沖縄県が、第三二軍司令部壕説明板の文言から慰安婦と日本軍による住民虐殺に関する記述を削除するということが起きている。 こうした動きも含め、改ざんされ忘れられていく沖縄戦の経験を小説という形で書き残し、人々の胸に刻み込もうとする著者の思いが伝わってくる。そしてまた、そうした経験が、遠い過去のものではなく、今に地続きであることを訴えているようだ。 自らも死に瀕しながら女性の「殺して」という声に応じたトラウマを抱える「私」の頭上を、強い反対の声を押し切って配置されたオスプレイが飛ぶ。カヨが娘と共に訪れたのは、反対する住民を暴力的に排除しながら基地建設が進められる辺野古。そこは、カヨたち住民が送られた収容所があった場所であり、辺野古が面する大浦湾は、カヨの弟が亡くなった場所だ。ヤマトゥに出稼ぎに出ていた文安は、行きつけの飲み屋で、父を殺害した日本兵の隊長、赤崎を見つける。話す機会が訪れるが、その結果、文安は、赤崎だけでなく、その娘や飲み屋の人からも踏みにじられるような経験をする。赤崎に対してぶつける文安の言葉は、沖縄戦で家族など愛する人たちを死に追いやられた人々が抱き続けてきた思いだろう。 そして、カヨに娘が言う、「私たちがちゃんと覚えておくからね」という言葉は、戦争の経験を読者に刻み込むことで、遠い「歴史」として切り離さないという誓いでもあり、鎮魂の祈りでもある。「ちゃんと覚えておく」限り、それは身体化された記憶として継承されていく。(すながわ・ひでき=文化人類学者)★めどるま・しゅん=作家。沖縄県今帰仁村生れ。「平和通りと名付けられた街を歩いて」で新沖縄文学賞、「水滴」で芥川賞、「魂込め(まぶいぐみ)」で木山捷平文学賞、川端康成文学賞受賞。一九六〇年生。