背後の社会史にまで目配せが及ぶ一書 森元斎 / 長崎大学准教授・アナーキズム 週刊読書人2023年5月5日号 アナーキズム 政治思想史的考察 著 者:森政稔 出版社:作品社 ISBN13:978-4-86182-706-8 森政稔先生の著作、それも「アナーキズム」がタイトルになっている本を、『アナキズム入門』なる本を書いている森元斎が書評するという、苗字だけみたらややこしい書評にならないように頑張ります。 まず、親族ではありません。お父上でもありません。私は森というラスト・ネームがついたのは十八歳の時だったので、森姓に感慨はありません。今となってはだいぶ慣れました。いや、こんなことを書きたいわけではない。本の中身についてである。 本書は政治思想史的な手捌きで、「アナーキズム的モーメント」とでも呼びうる思想的契機から、(初期)社会主義者と言われるような思想家群を読解し、アナーキズムの射程を押し広げていこうとするものとしても読めるものだ。あ、「アナーキズム」なのか「アナキズム」なのか、どっちかにしろと言われるかもしれませんが、ここでは著作にのっとって「アナーキズム」でひとまず統一します。 本書では、プルードンの思想が軸となっている(ように読める)。決して「狭義のアナーキスト」とはいえないこのプルードンを基軸に据えながら、彼の「集合力」や「自由」、「所有」などについて縦横に議論が展開されている。「集合力」については金山準『プルードン 反「絶対」の探求』(岩波書店)で詳細に語られているのでそちらも参照していただきたいが(そして以前、書評も書いた気がする)、その概念は労働の組織化の帰結として生じるものであり、そこから同調圧力や不自由な組織をも相対化できるような水準の議論を析出するものだ。この議論が地下水脈として流れているがゆえに、「自由」についても、人々が相互に相手を抑圧することのない原理が語ることができるようになる。他にも「所有」に関しても、シュティルナーとの比較検討など、「主義者」(なんだそれ?)たちにとって極めて重要な論点が検討されている。 本書の魅力として、テキストに忠実になりながらも背後の社会史にも目配せがあり、フランス革命やパリ・コミューンとの関わりもきちんと精査されているところにある。フランス革命に関しては、のちの「主義者」たちからすれば、そこからの反省(やある種の徹底化など)としてそれぞれ論者により議論がなされているわけだし、パリ・コミューンに関してはマルクスの反応、あるいはプルードンがもしも生きていたらどう反応したかなども検討に値するものである。 また仮に「狭義のアナーキスト」なるものが存在するとすれば、であるが、そうしたアナーキストたちへの批判や議論の修正点としても本書を読むことができるのも魅力だ。自由な社会を求めて、不自由な社会を帰結してしまうことにもなりかねない革命的な帰結に対して、そうではないあり方があるのではないかという希求をプルードンらの思想に見出そうとしている。 最後に、自分だったらこう考えるかなという論点について。本書にも当然のように書かれていることではあるが、「狭義のアナーキズム」なるものが本当に存在するのかどうかという点である(バッキバキの武闘派のバクーニンと平和なクロポトキンは「両極」である)。ここは個人的にはぼやかしたままでいいと思っている。(私も含め)学者センセーとしては、何がしかの定義なり原理なりを据えて論じざるを得ないのであるが、「アナーキズムとは何か」とは幅のあるあり方でしかないと思っている。現在に至るまで「戦術の多様性」に満ちたあり方がアナーキズムの特徴だとすれば、決定版アナーキズムなどは存在しないと思う。だから「主義者」たちとひとまず未定義語で書いちゃいました。とにもかくにも、この意味では本書も、アナーキズムの書籍であり、アナーキズム批判、そしてアナーキズムの射程をさらに開いてくれる書籍として読みえる。 お父上と呼んでいいですか。ああ、だめですか、すみません。(もり・もとなお=長崎大学准教授・アナーキズム)★もり・まさとし=東京大学教授・政治学・社会思想史。東京大学法学部卒業、同大学大学院法学政治学研究科博士課程中退。筑波大学講師などを経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。著書に『変貌する民主主義』『迷走する民主主義』『〈政治的なもの〉の遍歴と帰結』『戦後「社会学」の思想 丸山眞男から新保守主義まで』など。一九五九年生。