井出匠 / 福井大学准教授・東欧近現代史 週刊読書人2023年5月12日号 ドイツ帝国の解体と「未完」の中東欧 第一次世界大戦のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスク 著 者:衣笠太朗 出版社:人文書院 ISBN13:978-4-409-51097-1 高校の世界史では、第一次世界大戦の終結のところで、中・東欧における「自決権」というものについて学ぶ。その説明は、おおよそ以下のようなものであろう――ロシア10月革命の立役者であるレーニンや、「14か条の平和原則」を発表したアメリカ大統領ウィルソンが提唱した理念で、それまでロシアやドイツ、オーストリア=ハンガリーといった帝国の支配下に置かれてきた諸民族/国民(ネイション)が、これにより自らの意思にもとづき独自の国家を創設する権利を保障され、その結果として大戦後にポーランドやチェコスロヴァキアなどが独立を達成した――。こうした説明が匂わせるのは、巨大な帝国の内部で長きにわたり抑圧されてきたポーランド人やチェコ(スロヴァキア)人などの諸民族/国民が、第一次世界大戦を契機としてようやく自分たちの国家を持つに至ったという、いわば民族/国民としての「成功物語」である。その主人公は、もちろん勝者としてのポーランド人やチェコ人であり、またその敵役としてドイツ人やハンガリー人がいるわけだが、ポーランド、チェコ、スロヴァキアという国家が現在も存在しているなかで、この物語は今なお語り継がれている。 ところで、物語の筋というものは通常、その語り手にとって語るに値する内容から成り立っている。そしてこれとは逆に、取り立てて語るに値しない話、あるいは語り手にとってむしろ都合の悪いエピソードなどは、物語の筋から除かれるか、そもそも最初から無かったことにされてしまう。しかし、歴史はそうした恣意的な語り手の独占物ではない。前述のような成功物語、すなわちある民族/国民を主語とし、その自決による独立獲得を「幸福な結末」としてあらかじめ設定したうえで、そこに至る過程――民族/国民の起源、古い栄光の時代とその終焉、それに続く他者による抑圧的支配とそれへの抵抗――を直線的に描き出すような語りは、こんにちでは歴史記述のあり方として疑問視されている。なぜならそこでは、あるべき筋書きを仕立て上げるために、民族/国民なるものがアプリオリかつ同質的な人間集団として実体視され、行為の主体として特権化される一方で、その枠組みに必ずしも収まりきらない諸要素が、意図的ないし無意識的に排除されてしまうからである。そうした要素には、宗派や地域、身分や階層など、人々の多彩かつ複合的な共同意識のあり方やそれに関わる行動様式が含まれうる。たとえば20世紀初頭の段階では、ポーランド語を母語とするすべての人々が自分を「ポーランド人」とみなしているとは限らず、せいぜい「○○村の住民」とか「カトリック教徒」(またはそれらの組み合わせ)といった類の自己認識しか有していない、というケースもあったという。そしてより積極的な態度としては、「ポーランド民族/国民」である/になることをあえて選ばず、かといって「ドイツ人」や「ロシア人」でもなく、それらのいずれとも異なる道を選ぼうとする人々も存在したはずである。 本書が取り上げるオーバーシュレージエン/シロンスクの分離主義運動は、まさにそうしたオルタナティヴが存在したことを示す好例であるといえる。第一次世界大戦以前にドイツ帝国の東部辺境地域をなし、ドイツ語とポーランド語の混合地域であったオーバーシュレージエンでは、大戦終結後にドイツへの残留または新生ポーランドへの帰属という二つの選択肢をめぐる激しい対立が生じた結果、そのいずれか(・・・・)を選ばせる住民投票が一九二一年三月に実施された。またこれに前後する時期には、ドイツ陣営とポーランド陣営とのあいだで武力衝突も発生しており、最終的には国際連盟により、この地域をドイツ領とポーランド領に分割することが決められた。こうした経緯から、この時期のオーバーシュレージエンの帰趨をめぐる問題は、ドイツ―ポーランドの二項対立と捉えられることが多いという。しかし本書によれば、当時のオーバーシュレージエン住民の少なからぬ部分が、同地域の国家としての「独立」を目指して活動した分離主義運動を支持していた。すなわちここには、ドイツおよびポーランドの民族/国民的物語の筋書きには回収しえない歴史的事象が、たしかに存在していたのである。にもかかわらず、その事実はこれまで(おそらく意図的に)無視されるか、あるいは「オーバーシュレージエン分離主義運動=ドイツまたはポーランドの支持者」という歪曲された見方が示されてきたという。とくにこの点に光を当てたところに、本書の学術的意義があることは間違いないだろう。 一方、ここでぜひ指摘しておきたいのは、次の点である。本書でも強調されているように、オーバーシュレージエンの分離主義者たちは、自決権を有するのは民族/国民とみなされる集団に限られる、という当時の支配的見解に影響されつつ、自分たちもまた独自の「オーバーシュレージエン国民(・・)」であるということを主張し続けた。ここには、さしあたり「幸福な結末」には至らなかったものの、かれら自身の民族/国民の物語が編まれてゆく素地を見出しうるのである。実際に、分離主義者たちが自らの「国民」性を定義すべく展開した様々なレトリックのなかに、すでにその兆候を認めることができるだろう。なおも「未完」であるにせよ、なんらかの到達点に向かって進んでいくという目的指向性がその語りの特徴であるとすれば、歴史を研究する者は、そこに絡め取られることのないよう、つねに万全の注意を払うべきなのかもしれない。(いで・たくみ=福井大学准教授・東欧近現代史)★きぬがさ・たろう=神戸大学講師・ドイツ近現代史・中/東欧近現代史。二〇二〇年に東京大学大学院総合文化研究科にて博士号(学術)を取得。秀明大学助教などを経て現職。著書に『旧ドイツ領全史』など。一九八八年生。