芸術が社会に与える影響を豊富な事例から概観する 浅間哲平 /明治大学講師・フランス文学 週刊読書人2023年5月26日号 アート・ローの事件簿 美術品取引と権利のドラマ篇 アート・ローの事件簿 盗品・贋作と「芸術の本質」篇 著 者:島田真琴 出版社:慶應義塾大学出版会 裁判において芸術はどのように語られるのか。本書は、このような問題を、専門用語ではなく誰にでも理解できる言葉で、語り直した「物語」である。二篇に、併せて四十一の事件が紹介されている。それぞれの「事件簿」では、まずその経緯が説明され、続けて裁判のあらましが示される。さらに、その後の展開や教訓がまとめられ、事件で問題となる芸術家の略歴で閉じられる。法律にまつわる言葉は概して難解であるが、本書は、評者のような素人でも気楽に読める読み物となっている。 例えば、ある事件簿ではブランクーシ作「空間の鳥」が取り上げられる。アメリカの関税法では、芸術作品を輸入する場合、税はかからない。しかし、一九二六年の彫刻家の回顧展のために「空間の鳥」がアメリカに持ち込まれたとき、通関職員はこの作品を「台所用品および病院用品」に分類し、その結果、相当の関税を支払う必要があるとされた。キュレーターはこの決定を不服とし、合衆国政府を相手方として、訴訟を起こした。その裁判では過去の判決で示された「芸術作品」の定義を参照しながら、「ブランクーシの作品が鳥に似ていないので芸術作品ではない」という立場の合衆国側と、「この作品は鳥を表している芸術作品である」というブランクーシ側の論争が(大真面目に)繰り広げられた。 また、べつの事件簿ではジェフ・クーンズの事例が挙げられている。クーンズはよく知られているように他人の作品を流用して自らの制作にあてる芸術家である。当然、著作権が問題となるが、著者はアメリカにおける「フェアユース」の規定を示しながら、クーンズ裁判を物語る。フェアユースとは「批評、論評、報道、教育、調査研究その他正当な目的で他人の著作物を利用する行為は著作権を侵害しない」という取り決めである。著作権の問題は、概説書などを読んでもどのようなケースが正当か不当か、明確にならないことがままある。しかし、本書は、クーンズの裁判を例にフェアユースとは「進化していく」ものであるとし、判例が出ることにより具体化していく概念であるとする。 さらに、表現の自由が争われた事例を扱う二つの事件簿は、日米の比較文化の様相を呈する。一九九八年にブルックリン美術館で「センセーション展」が企画された。これはロンドンでヤング・ブリティッシュ・アーティストと呼ばれる美術家たちが問題作ばかりを展示した展覧会をニューヨークでも開催しようとしたものであったが、そこにはクリス・オフィリによる象の糞で描いた聖母像が含まれていた。これを問題視したニューヨーク市長は美術館への補助金を打ち切るとした。美術館側は、この決定は合衆国憲法が保証する表現の自由に反すると主張し、訴訟を提起。結果、その主張が認められた。これと比較される事件は、あいちトリエンナーレ2019で企画された特別展示「表現の不自由展・その後」が引き起こした例の騒動である。ニューヨーク市のように、名古屋市もすでに決まっていた助成を打ち切ると通知した。展示の企画者は市がこの負担金を支払うべきであるとの訴えを起こし、二〇二二年五月に認められた。この二つの事件は類似の案件をあつかう裁判であるが、アメリカと日本での司法のあり方の違いが認められると著者は言う。 実を言えば、芸術をいかに語るかという問いは、法的にのみ答えうるものではない。しかし、裁判という公的な場で、ときに芸術における権利を規定し、ときに芸術がはらむ自由を解放する、これらの法的言語による物語は、芸術と社会の関係を考えるために有益であると評者は考える。本書は、社会における芸術の役割や芸術が社会に与える影響を豊富な事例から概観させてくれるのである。(あさま・てっぺい=明治大学講師・フランス文学)★しまだ・まこと=弁護士(一橋綜合法律事務所パートナー)。著書に『アート・ロー入門』など。