ドイツ語圏におけるコスモポリタニズムの変遷を通史的にたどる 二藤拓人 / 西南学院大学准教授・ドイツ文学・メディア文化 週刊読書人2023年5月26日号 ドイツ語圏のコスモポリタニズム 「よそもの」たちの系譜 著 者:菅利恵(編) 出版社:共和国 ISBN13:978-4-907986-04-9 「コスモポリタニズム/世界市民主義」と聞くと、排他的なナショナリズムや人種主義に対抗して、寛容と自由と平等を謳う、規範的・普遍的な理想主義の世界観が想像される。 近代の西洋思想史を紐解くと、このイメージは十八世紀の啓蒙思想のなかで形成されたことが分かる。世界市民体制の実現を構想したカントの『永遠平和のために』は、およそ近代的な国際秩序を前提にした人類平和の語りのなかで今なおほとんど究極のものだ。 その反面、十九世紀以降、諸国間の紛争が絶えないヨーロッパにおいて、この平和理念はリアリティに乏しいユートピアとして貶められることになり、帝国主義的なイデオロギーとして否定的に評価された。二十世紀に入るころには、国民国家の富国強兵路線とは別の地平で放浪するデカダン風の美的享楽者などが、コスモポリタン像と結びつくにいたる。 本書は、近現代ドイツ語圏を専門にする人文学研究者八名が、こうした十八世紀から現代にいたるコスモポリタニズム的思考の変遷を紡いでいく論文集である。右に述べたような展開を念頭に置いて読み進めれば、本書がそこで見落とされている論点にも意識的に取り組んでいることが分かるはずだ。 例えばマルクスにとってコスモポリタニズムは文化・伝統を無視する画一化した資本の「流通」を指した。最近の議論では逆に、グローバル世界のなかでの広義の「犠牲者」たちが要する連帯がコスモポリタニズムの重要な論点になる(ハーヴェイ)。これに切り込んでいるのが、リアリズムの代表的作家フォンターネを扱った第四章である。 論者の磯崎氏によれば、十九世紀後半におけるフォンターネの文学表現はたしかにマルクスの理解と同じ方向性でコスモポリタニズムの様相を描写している。マルクスはブルジョアジーとの階級闘争という図式で労働者の人権擁護に向かうが、本論考の関心は、この労働者階級にも含まれずに従属と搾取を強いられる人々の側にある。長編小説に描かれる女性エフィ・ブリーストを官僚主義社会における男性(労働者)に「消費」されるマイノリティとして捉え直し、そこに包摂なき排除の構造を浮かび上がらせ、現代のコスモポリタニズム再評価の動きへと連絡させる。この一連の論の運びには説得力がある。 十九世紀より、コスモポリタニズムは、たしかに資本主義的な流通の原理や帝国主義的拡張を含意するものへと変容した。本書の考察は、各時代に応じてナショナリズムが強化されるときに、同時に超国民的な思考の契機が生じ、そこに前世紀の普遍主義的なコスモポリタニズムが流れ込むという展開を様々なかたちで明らかにしている。〈個性〉と〈普遍〉の同時性や共存を基調とする世界観はドイツロマン派に典型的だが、ゲーテやトーマス・マンなどが、それぞれに固有の時代状況でこうした同時性の契機を捉えて「ドイツ的」と呼んでいるのは示唆的だ。 本書を踏まえてもやはり、「ドイツ的」な思考は、空間と時間に縛られた多様な個別経験を統一的な理想へと普遍化する動きに特徴づけられる。大きく見ればこれはドイツ観念論の特徴に根差すものだ。だとすれば、ミシェル・フーコーがカント哲学を踏まえ名指した〈経験的――超越論的二重体〉としての〈人間〉の思考にコスモポリタニズムの言説も回収されていくとみてよいのだろうか――副題に「系譜/言説(Diskurse)」の用語を出す本書にも、ドイツ的コスモポリタニズムにおけるエピステーメーの断絶(例えばモデルネとポストモダンの分水嶺)を探る言説分析の態度が期待されるところかもしれない。 その意味では、一方で、多言語を横断する現代の越境作家イルマ・ラクーザを取り上げた第八章が、また他方で、近代を遥かに超えて古典古代に遡及していく二つの論考が―ストア派に起源をもつ「自然=コスモス」の法とコスモポリタニズム復興の動き(第六章)、ハンナ・アーレントによる古代ギリシア的ポリス概念への回帰(第七章)が―モデルネの知の枠組みから離れたところで「新たな」コスモポリタニズムの可能性を模索するための足場となりそうだ。 編著者の菅氏が指摘するとおり、コスモポリタニズムにおける「普遍化」の力学それ自体には常に危険が伴う。「自由と解放」といった世界市民主義のイデアは、「誰が語るのか」によって容易に「暴力と圧力」に転化し、政治権力のイデオロギーに歪められてしまう。本書は、ここでは触れ尽くせないなお多くの論点を含むものであるが、少なくともこの危険を自覚し、「よそもの」というマイノリティの視点からコスモポリタニズムの思考を紡ぐことで、世界市民の理想を歪みのないかたちで一体的に語り継ぐことに成功している。 かたや今も不毛な戦争で犠牲者が出るなか、かたや軍事拡大を競い、戦争の脅威をさらしあう構造の強化に向かおうとする現在の国際政治情勢にあって、地球の未来と人類共生の理想を確かなリアリティとともに熟考するときが来ている。この危機意識を共有する者として、本書のような営みが更なるコスモポリタニズム的な語りを触発するためのトポスになることを切に期待する。(にとう・たくと=西南学院大学准教授・ドイツ文学・メディア文化)★すが・りえ=京都大学教授・ドイツ文学・ドイツ文化。著書に『「愛の時代」のドイツ文学』など。一九七一年生。