テンポの良いエンタメ性溢れる哲学書 飯盛元章 / 中央大学文学部兼任講師・哲学 週刊読書人2023年5月26日号 リアリティ+ 上・下 バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦 著 者:デイヴィッド・J・チャーマーズ 出版社:NHK出版 ISBN13:㊤978-4-14-081936-4/㊦978-4-14-081937-1 あなたは、いまこの記事を読んでいる。きっと、新刊『リアリティ+』という本に興味を持って、紙あるいはディスプレイのうえの文字を追っているはずだ。いま、あなたの周りにはどんな物があるだろうか。飲み物を入れたマグカップやお気に入りの椅子などがあるかもしれない。少しだけ、昨日のことを思い出してみてほしい。誰と会い、どのような会話をしただろうか。夕食のおかずはどんな香り、どんな味がしただろうか。 これらすべては、もしかしたらよくできたシミュレーションかもしれない。あなたがいま見ているもの、これまで感じてきたものはすべて、現実には存在しないシミュレーションかもしれない。本当のあなたは、たとえば映画『マトリックス』の人間たちのように装置のなかで眠っているのだ。あなたの脳はコンピューターと接続されていて、実際には存在しないものを経験させられている。あなたはこれまでずっとそのようにして、バーチャル世界のなかで生きてきたのかもしれない。 デイヴィッド・J・チャーマーズの『リアリティ+』は、こうした可能性を真剣に探求するエンタメ感溢れる哲学書だ。SF小説や映画、ゲームなどを題材に、テンポよく議論が進展していく。さまざまな哲学的概念も援用されるが、その都度手際よくまとめられているので、初学者でもまったく問題なく読み進めることができるだろう。 本書の基本的な主張は、第1章で簡潔に述べられる。チャーマーズは、三つの問いに答える形で、自らの主張を明確化している。そのうちの二つだけ紹介しよう。 まず一つ目は、「私たちは、自分がバーチャル世界にいるかどうかわかるのか?」(知識の問い)というものだ。これに対するチャーマーズの答えはノーである。冒頭で見たように、あなたはこれまでずっとバーチャル世界のなかで生きてきたのかもしれない。この可能性を完全に排除することはできないし、逆に、「バーチャル世界にいる」とはっきり断言することもできない。このように、チャーマーズは論じる。 問いの二つ目は、「バーチャル世界はリアルなものか?」(実在の問い)というものだ。チャーマーズの答えはイエスである。仮に私たちがバーチャル世界にいるのだとしても、私たちが経験するものがたんなる錯覚であることにはならない、というのがチャーマーズの主張だ。この主張の根幹をなすのは、「バーチャル・デジタリズム」という考え方である。バーチャル世界の事物は、デジタルなビット構造からできている。だがそうだとしても、バーチャルな事物が虚構であることにはならない、とチャーマーズは言う。それは、私たちが経験する現実の木や猫という対象が、じつは素粒子からできているからといって虚構であることにはならないのと同様である。ビット構造もバーチャルな事物もどちらもリアルなのだ。 さて最後に、「シミュレーション神学」というユニークな概念を紹介しよう。チャーマーズは、シミュレーションの内部にいる者たちにとって、シミュレーションの実行者はいわば神のような存在になる、と論じる。この神のごときシミュレーション実行者の性質を、シミュレーション内部の視点から探求する試みがシミュレーション神学だ。チャーマーズは最終章で、シミュレーション神学に関する肯定的な答えを提示しているのだと読める。シミュレーション内部の普遍的な構造は、外部世界にも共通したものだと言うのである。 私はチャーマーズよりも、シミュレーションの内/外の断絶を強く捉え、シミュレーション否定神学なるものを考えたい。シミュレーションの外の現実世界では、まったく異なる自然法則が成立するかもしれない。たんにパラメーターが異なるだけでなく、私たちにとっては未知の力が存在するかもしれない。さらには、概念体系や論理法則もまったく異なるかもしれない。そんな、なにもかもが根本的に異なる外部世界。それはシミュレーションから目覚めたとき、おそらく一歩も動けなくなってしまうような世界だろう(あるいは、そもそも「足」も「動く」も存在しないかもしれない)。(高橋則明訳)(いいもり・もとあき=中央大学文学部兼任講師・哲学) ★デイヴィッド・J・チャーマーズ=ニューヨーク大学教授・哲学。アデレード大学とオックスフォード大学で数学を学んだのち、一九九三年にインディアナ大学にて博士号(哲学および認知科学)を取得。著書に『意識の諸相』『意識する心』など。一九六六年生。