「見捨てられた」戦死者たち、知られざる戦後 浜井和史 / 帝京大学准教授・日本近現代史・日本外交史 週刊読書人2023年6月9日号 硫黄島に眠る戦没者 見捨てられた兵士たちの戦後史 著 者:栗原俊雄 出版社:岩波書店 ISBN13:978-4-00-061587-7 硫黄島と聞けば、多くの日本人は「硫黄島の戦い」を思い浮かべるだろう。太平洋戦争の末期、日本本土に迫るアメリカ軍に対して、栗林忠道中将率いる日本軍が徹底抗戦した激戦の島。クリント・イーストウッド監督の映画でも印象的に描かれたことにより、その戦いのイメージは鮮烈である。 しかし、徹底抗戦の末に戦死した多くの兵士たちの遺体や遺骨は、戦後、どのように扱われることになったのか。この戦いでの日本人戦没者二万一九〇〇人のうち半数以上が今なお硫黄島に眠り続けており、その遺骨を収容するための取り組みが今日も行われていることは、ほとんど知られていないといってよいだろう。本書は、『毎日新聞』の専門記者として戦後補償問題に精力的に取り組んできた著者が、「見捨てられた」も同然の扱いとなった兵士たちの知られざる戦後を、丹念な取材に基づいて描き出した啓発の書である。 二〇〇六年以降、数度にわたって硫黄島を訪れた著者は、この島を「未完の戦争」の象徴として位置づける。それは単に多くの戦没者の遺骨が眠っているということだけが理由ではない。国の遺骨収集事業は一九五〇年代から行われてきたが、グランドデザインを欠いたその姿勢は、硫黄島に限らず、フィリピンやニューギニアなどかつての戦場において、多数の遺骨の風化を招いている。そうした中で硫黄島が特異なのは、この島が東京都に属する日本の領土であるにもかかわらず、積極的な遺骨収容が行われてこなかった点にある。なぜ硫黄島の遺骨収容が遅々として進まないのか。著者は、歴史的経緯や地理的条件、遺骨収集団のあり方など、多面的にその理由を探る。 本書の後半において、「硫黄島」よりも副題の「見捨てられた兵士たち」に力点が置かれているのは、近年、遺骨収集事業をめぐって深刻な問題が発生していることが関係しているだろう。二〇一六年に遺骨収集推進法が施行され、遺骨収容が「国の責務」であると明記されたが、二〇一九年にシベリア抑留死者の遺骨取り違え問題が発覚し、事業の信頼性を揺るがす社会問題となった。また沖縄では、辺野古基地建設に沖縄本島南部の土砂を使用する計画が持ちあがっている。激戦地であった南部の土砂には沖縄戦戦没者の遺骨が混じっている可能性が指摘されている。著者は、これらの問題を厳しく追及するとともに、今後の遺骨収容のあり方についても提言している。 本書の射程は、「見捨てられた兵士たち」にとどまらない。かつて硫黄島に暮らしていた一般の島民たちにも目を向ける。戦前には一〇〇〇人以上が暮らしていたが、戦争によってほとんどの島民は強制疎開を余儀なくされた。そして戦後、硫黄島は米国によって統治され、本土復帰後も自衛隊基地として使用されることとなり、今日に至るまで島民の帰島は許されていない。島民たちにとっても、まさに「未完の戦争」が続いている状況といえよう。著者は、すでに記憶が風化しつつある戦前の暮らしを知る島民たちを取材し、その証言によって、かつてその島には豊かで多様な日常生活があったことを生き生きと蘇らせている。 本書で貫かれているのは、「未完の戦争」の実態に真摯に向き合う著者の姿勢である。著者は「八月ジャーナリズム」と揶揄されがちな日本の戦争報道が抱える問題に努めて自覚的であり、遺骨収容の他にもシベリア抑留や空襲など様々な戦後補償問題を長期にわたって取材し、季節を問わず発信を続けている。それは、避けられぬ「戦争の記憶」の風化に対する抵抗の拠点としての意義を有するとともに、戦争の絶えない現代世界に警鐘を鳴らす役割も果たしている。 かつて小規模ながらも人々の生活が確かに息づいていたその島は、国家による無謀な戦争の果てに、今なおその歴史が凍結されている。この不条理を見過ごしてきた日本の「戦後」とはいったい何なのか。愚直なまでにその問題を追及する本書は、著者の戦いの記録であるともいえよう。(はまい・かずふみ=帝京大学准教授・日本近現代史・日本外交史)★くりはら・としお=毎日新聞社専門記者。一九九六年毎日新聞社入社。著書に『戦争の教訓為政者は間違え、代償は庶民が払う』『東京大空襲の戦後史』『シベリア抑留 最後の帰還者』『特攻――戦争と日本人』など。第三回疋田佳一郎賞、第二四回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。一九六七年生。