日常生活や内面心理の奥深くに溶け込んだ陰鬱な影 奥畑豊 / 日本女子大学准教授・英語圏文学 週刊読書人2023年6月9日号 書くことはレジスタンス 第二次世界大戦とイギリス女性作家たち 著 者:河内恵子(編著) 出版社:音羽書房鶴見書店 ISBN13:978-4-7553-0436-1 一般に「戦争文学」と聞いてわれわれが真っ先に連想するのは、戦場で勇敢に闘う兵士や祖国のために命を投げ打つ者たちの姿を描いたテクストだろう。しかし、イギリスの女性作家と第二次世界大戦との関係性を鮮やかに分析してみせる本書は、そういった紋切型で男性中心主義的な戦争文学観を刷新してくれる。事実、ヴァージニア・ウルフ、レベッカ・ウェスト、エリザベス・ボウエン、スティーヴィー・スミス、オリヴィア・マニング、エリザベス・テイラー、ジャン・ストラザー、サラ・ウォーターズらを扱ったこの論文集において、銃弾の飛び交う戦場の兵士たちの「英雄的」な行為に光が当てられることは殆どない。本作が炙り出すのはむしろ、人々の日常生活や内面心理の奥深くに溶け込んだ戦争の陰鬱な影である。ボウエンの『日ざかり』を扱った第三章で遠藤不比人氏がフロイトを援用しつつ言うように、彼女たちが紡ぎ出す真の戦争文学は、いわば「テクストにおける戦争の不在」という逆説として立ち現れてくるのだ。 ウルフのような文学史上のメジャーな作家から、不当に過小評価されてきた(ウェスト、スミス、マニング、テイラーのような)書き手たちに至るまで、本書の扱う対象は幅広い。考察されるテクストの出版時期も様々であり、中には大戦が終わってかなりの月日が経過してから書かれたものも含まれている。そして、戦争を「戦争の不在」において捉える作家たちのアプローチの豊饒さを反映するように、本書に収められた論考も多彩である。例えば、ウルフの『歳月』と『幕間』を論じた第一章が探求するのは、戦争を根源的な「暴力」にまで還元し人間同士のミクロの関係性の中に定位する彼女の試みである。また、フェミニスト作家ウェストについて論じつつ彼女のホロコーストに対する見方にハンナ・アーレントとの共通点を見出す第二章、スミスの自伝的な小説群を精読する第四章、テイラーの女性表象を包括的に論じた第六章は、いずれも大戦との関係性を起点に展開される良質な作家論になっている。さらに、先に紹介した第三章はフロイトやキャシー・カルースの外傷理論を経由し、ボウエンの修辞学を分析しつつ戦争文学を「戦後文学」、そして「未来の戦争に怯える「戦前文学」」として読み替えてゆくスリリングな考察である。 こうした本書の中で特に強い問題提起に貫かれているように見えるのは、第五章のマニング論と戦争小説の映画翻案を検討した第七章である。前者は、マニングによる一九六〇年代の「バルカン三部作」を後期モダニズムの文脈に置いて再検討する。この章では国民国家を基盤として成立した近代文学の枠組みの中で周縁化・不可視化されてきた難民たちに光を当てるマニング作品を、ヨーロッパの文学的伝統や自己満足的なリベラリズムに揺さぶりをかけるテクストとして再評価している。一方、本書の末尾を飾る第七章は、戦中及び戦後における女性たちの経験の可視化/不可視化という問題を小説から映像作品へのアダプテーションを題材に論じる。ここで特筆に値するのは、本来歓迎すべきはずの「文化的承認」に直結する可視化の孕む危険な力学を、本章がウォーターズの小説『夜愁』(とその映像翻案)における同性愛者たちの描写の中に読み取っている点であろう。可視化されることによって逆にリスクを引き受けざるを得ない同性愛者たちのセクシュアリティに対する問題提起は、第五章の難民についての考察と同じく、戦争文学に対するわれわれの蒙を啓いてくれる。 本書の序論で編者の河内恵子氏は、この本のタイトルが「戦争時代のすべての作品はレジスタンスでは?」というボウエンの問いかけに由来していることを明かしている。二十世紀に人類が犯した愚行の再来のような侵略戦争が海の向こうで未だに繰り広げられている現在、この言葉は読者の胸に深く突き刺さるに違いない。(麻生えりか・生駒夏美・遠藤不比人・松本朗・原田範行・秦邦生著)(おくはた・ゆたか=日本女子大学准教授・英語圏文学)★かわち・けいこ=慶應義塾大学名誉教授・英文学・英語圏文学。『三田文學』編集顧問。著訳書に『深淵の旅人たち ワイルドとF・M・フォードを中心に』、編著に『現代イギリス小説の「今」 記憶と歴史』など。