並立する労働者階級への共感とジェンダー規範抗議への無理解 鳴子博子 / 中央大学教授・社会思想史・政治思想史・ジェンダー論 週刊読書人2023年6月9日号 女がみた一八四八年革命 上・下 著 者:ダニエル・ステルン 出版社:藤原書店 ISBN13:㊤978-4-86578-372-8/㊦978-4-86578-373-5 本書は、Daniel Stern,Histoire de la Révolution de 1848, 1850,1853の訳書である。本書に対する私の第一印象は「意外性に満ちた不思議な本」であった。その原因については後ほど記すことにして、本書を手に取る読者は、専門領域の方は措くとして、どのような興味関心によるのだろうか。一八四八年革命(二月革命)全般への興味から、邦題の『女がみた……』に惹きつけられて19世紀の女性が二月革命をどう見たのか知りたいという欲求から、著者の周辺事情をご存じの方なら、ジョルジュ・サンドとともに19世紀パリ文化界の双璧ともいわれる「新しい女」への関心からだろうか。ルソーの社会・政治思想やフランス革命期の女性の集団行動に関心を寄せる私はといえば、二月革命を大革命と比較してみたいという思いからということになる。 本書は、「眼のまえの歴史 Histoire immédiate」、つまりルポルタージュに分類される。それゆえ19世紀に造詣の深い方であれば、ユゴーの『見聞録』と比較しようと思われるかもしれないが、私は大革命期のルポルタージュ『フランス革命の目撃者たち』(ペルヌー、フレシエ編、河野鶴代訳、一九八九年刊、白水社、原著は一九五九年刊)と対比してみたい。『目撃者たち』は膨大な証言の中から編者が選りすぐった、7月14日からテルミドールまでの事件の目撃者証言集である。同書には直接、事件「現場にいた」出自・階層も異なる人々の長短の証言が収められている。対する本書は目撃者の生の証言集ではない。著者はパリにいて騒然とした議会を傍聴してはいたが、警備隊と衝突し血の流れる街路やバリケードの中にいたわけではない。著者はジャーナリストとして、収集した資料・情報と格闘して時々刻々変化する革命の推移を書き上げたのである。 だからであろうか、一方の『目撃者たち』の緊迫した事件現場の証言者が発する言葉には他を圧倒する迫力がある。他方、本書の蜂起第一日目~第三日目をはじめとする諸章の細部にわたる描写には、共和派への共感、なかでも労働者階級への共感が随所に見られるけれども、それはほとばしるような感情の吐露を伴ってではなく、むしろ冷静な観察、客観性を重視した記述の中に見られるものである。そうしてみると、私の抱いた第一印象は、本書のこうした特徴に起因していそうである。 ところで、その文学作品とショパンとの恋愛スキャンダルで著名なジョルジュ・サンドが、デュドヴァン男爵夫人の男性名の筆名だったように、著者名のダニエル・ステルンも男性名の筆名である。マリー・ダグー伯爵夫人として上流社会の住人だった彼女は、作曲家フランツ・リストと恋愛スキャンダルを引き起こし、リストとの間に三人の私生児をもうけた末に離別する。彼女はサロンを主催するが、そこに集う人々には文化人のみならず、ラマルティーヌやルイ・ブランなど多くの政治家も含まれていた。こうして自身を縛る軛を振りほどき「新しい女」となった著者であるから、彼女が大革命期や二月革命期に活動した女性たちをどのように評価しているのかに注目してみよう。第22章には、大革命期のオランプ・ド・グージュやロラン夫人、シャルロット・コルデーに対する評価は一定程度なされているが、他方、二月革命当時、ジェンダー規範に抗議して活動する民衆女性への評価は厳しく、意外なまでに否定的である。それは前述の労働者階級への共感とは対照的な態度である。おそらくこうしたことが私の第一印象のもう一つの原因であろう。 けれども私は、下巻の最後に置かれた「読者へ」を読むに至って著者の企ての意図、意味にようやく合点がいった。著者は本書を「個人の作品というより、むしろ集団の作品である」と記し、著者が望むのは「著者が完全に姿を消し、事実そのものに語らせるような著作」だと述べていたからだ。ヴォルテール主義者の亡命貴族を父に持つ著者は、ヴォルテール主義の継承者であり、19世紀の集合知の表現者であったというわけである。つまり本書は「ダニエル・ステルンから見た19世紀半ばの集合知」の書であり、一つの有益な、知の19世紀ガイドブックと言えそうである。言うまでもなく、一八四八年はマルクス、エンゲルスの『共産党宣言』刊行年であり、議会制の擁護者J・S・ミルでさえ、『代議政治論』(一八六一年)で、労働者階級への共感と恐れを伴いながら、階級的立法を批判した時代である。とすれば、(全肯定ではないが)労働者階級への共感とジェンダー規範に抗議する民衆の女性たちへの無理解が並立することもかなり納得がゆく。 以上のように、私の感じ取った本書全体の特徴は、あくまで冷静な記述の連続というものだが、戦闘場面の記述には強い印象を与えるものもある。たとえば、蜂起三日目の次の場面である。王権側の兵士を追い詰めた給水所の攻防で、蜂起者たちは給水所を火攻めにする。彼らは勝利の歓喜の声を上げるが、その直後に一転して、焼け死にかけている兵士に水を浴びせて命を救おうとする。あるいは六月蜂起の以下の描写もその一例である。七月王政倒壊後、臨時政府は国立作業所を開設するが、政府は方針転換してその解体に舵を切る。労働者たちは作業所解体に抗議して六月蜂起を起こす。バリケードをめぐる攻防で蜂起側のある指揮官と二人の若い女の行動が記される。銃撃を命じる、手に旗を持った指揮官が撃ち落されるとその後に続いて若い娘がその旗を振る。政府側の国民衛兵は発砲をためらうが、結局はその女を撃ち落とす。さらにもう一人の女も先の娘と同じ運命をたどる。殺し殺されるおびただしい同胞の人々。本書は上下巻33章約一四〇〇頁の大作である。杉村和子氏が始められ志賀亮一氏によって完成された訳業に敬意を表したい。今回、私は書評の機会をいただいて幸運にも自身の研究に資するヒントを得た。それが何かはここで書くわけにはいかないけれども。読者の方々にも思わぬギフトがあるかもしれない。(志賀亮一・杉村和子訳)(なるこ・ひろこ=中央大学教授・社会思想史・政治思想史・ジェンダー論)★ダニエル・ステルン(一八〇五―一八七六)=ジャーナリスト・作家。本名マリー・ドゥ・フラヴィニィ。