国境に閉ざされない開かれた生を書き留める 竹内栄美子 / 明治大学教授・日本近代文学 週刊読書人2023年6月16日号 世界を文学でどう描けるか 著 者:黒川創 出版社:図書出版みぎわ ISBN13:978-4-911029-00-8 本書は、著者が二〇〇〇年に旅したサハリンの人々について綴った思索の書である。ゲーテやメアリー・シェリーによる調和的あるいは挑戦的な「世界文学」の概念に関する考察もあり、それは多言語間でのコミュニケーションと、文学がディスコミュニケーションを包摂するものだという議論を含んでいる。本書の描出する多民族多言語に通じる部分だが、本書から評者が受け取ったのは、著者のこれまでの仕事、たとえば『旅する少年』(春陽堂書店)や編著『〈外地〉の日本語文学選』第二巻(新宿書房)や連作小説『京都』(新潮社)などとの繫がりだった。 旅をすること、国境を越えてゆくこと、そして行き着いた先には人が生きていて、それぞれの日常があり生活がある。文学はそれを描く。帝政ロシアの流刑地であったサハリンには、アイヌ、ニヴヒ、ウィルタなど北方先住民族がいて石油など地下資源が豊かであったが、ステファン『サハリン』に記載された「死の黒い湖」を見たいと考えた著者は、サハリン北端のオハまでも足を伸ばす。ユジノサハリンスクやポロナイスクやオハで出会った人々が具体的な相貌で描かれてゆく。 通訳兼ガイドをしてくれたキム・オクスン(金玉順)さんは樺太に出稼ぎに行っていた父に呼び寄せられて母とともに釜山からコルサコフまで渡って来た。ロシア名マリヤさんこと金山秀子さんは、父が朝鮮人、母が日本人で敷香(ポロナイスク)の奥地で生まれた。サハリンの朝鮮人には三つのルーツがあると著者は言う。金山秀子さんやキム・オクスンさんの両親のように、日本の植民地だった朝鮮から日本領時代の樺太に来た人。あるいは日本敗戦後に日本領樺太はソ連領となり引き揚げた人々が多かったため、ソ連国内から労働力としてサハリン移住となった人。さらに、戦後の社会主義体制の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から移住した人。みなさまざまな事情を抱えて移動する。そして移動した場所で結婚し子供を育て暮らしてゆく。 朝鮮人とともに著者が注目するのはウクライナ人である。かつて人気力士だった横綱大鵬はポロナイスク生まれで父はウクライナ人、母は日本人の納谷キヨといった。大鵬の父マルキャンの数奇な人生には驚くばかりだが、サハリンのウクライナ人は日本敗戦後に引き揚げた労働人口を埋めるためにソ連領内から移住した人たちだという。オハでの英語通訳ニーナは、父がウラル生まれのロシア人、母はウクライナ人で、いくつもの民族の歴史を共存させて生きていることを、著者はロシアのウクライナ侵攻時に思い出すのだ。 オハには日本人もいた。タナカ・コウサクさんの父は、日本軍兵士でソ連の捕虜となってサハリンに送られ抑留が解かれても帰国しなかった。母は朝鮮人で、妻はニヴヒとアイヌの混血だが、ここでは「なに人」という問い自体が成り立たないようだ。「なに人だと思いますか」という問いに金山さんは「エミグレですよ」と答えた。ウィルタのゲンダーヌ(日本名・北川源太郎)は日本敗戦でオタスから日本内地に移動したが、その妹北川アイ子さんは、敗戦時、日本から見捨てられたと思い「ウィルタには戻らないし、日本人にもならない」と答えた。これもエミグレということだろうか。アイ子さんは朝鮮人の夫に連れ添って戦後も無国籍の状態が続いたが、その一方、第二次大戦下の日本領樺太に住むアイヌは「日本国籍」を持っていた。アイヌの国籍の移りゆきには日ロ間の国境交渉をめぐる経緯が反映されているという。国家の都合で人の生が左右される。だが、人が生きていくことは、国籍と関係なくエミグレとして生きることなのかもしれない。それは、困難を伴う生き方だけれども国境に閉ざされていない開かれた生でもある。ほかにもニヴヒの作家ウラジミール・サンギのことやヤクートの「トナカイ王」ヴィノクロフなど、彼らの人生を書き留めることはまさしく文学の仕事だろう。 本書を読みながら評者は、小さな場所に生きた市井の人が登場する著者の旧著『京都』を思い出していた。本書は、サハリンという北方への想像力、そして著者の人間への尊重の念がうかがえる書物で、味わいながら何度でも読み返したい一冊である。(たけうち・えみこ=明治大学教授・日本近代文学)★くろかわ・そう=作家。著書に『かもめの日』(読売文学賞)『国境[完全版]』(伊藤整文学賞評論部門)『京都』(毎日出版文化賞)『鶴見俊輔伝』(大佛次郎賞)など。一九六一年生。