丹念な調査から解き明かされる物語 宮地知 / 組版・DTPオペレータ・WORK STATION えむ代表・「大阪DTPの勉強部屋」主催 週刊読書人2023年6月23日号 杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン 著 者:阿部卓也 出版社:慶應義塾大学出版会 ISBN13:978-4-7664-2880-3 デザインを学んだ人ならば、「杉浦康平」の名は一度は耳にし、その作品の数々を目にするだろう。本書はそんな杉浦の作品を詳細に分析し、日本語のレイアウト、ブックデザインに与えた影響を解説している。 そして、その創作の元になる写真植字の発明から発展、全盛時、終焉までを丁寧に解き明かしていく。 「写真植字」という言葉を印刷業界外で知っている人は、どれくらいいるのだろうか。写真植字は一九二四年に発明され、全盛期は一九六〇〜一九八〇年代後半。九〇年代にDTPと呼ばれるPCを使ったデザイン・組版システムが主流になるまでが全盛期だろう。その時期であっても、一般の人は印刷文字と言えば金属活字を思い浮かべ、写真植字という技術は世間に出ることはなかった。 私は書評家ではなく写植の時代に仕事をし、今も組版の仕事をしている。DTPになって失われてしまった写真植字の技術を少しでも今に伝えようと、素人ながら「写植の時代」という展示会を企画したりしている。本書のタイトル・テーマに共通するところがあり、その縁で、書評を頼まれたのである。 研究者は凄いものであると、本書を読んでつくづく思った。私は写真植字を知ってもらおうと、ホンの少し昔のトビラを開けた程度で、その向こうに広がる世界の深さに啞然としてしまった。しかし研究者は、その奥の奥へグッと踏み込み、隅々まで目を届かせ、事柄を引き寄せ調べて文章を生み出す。この本を執筆するうえで、著者はどれほどの文献を探し読み、関係者を取材し、事実関係の確認照合に費やしたのか。素人ながらに大変な事だっただろうと思いを馳せる。 丹念に事実を調べていけば、そこにあった奇跡とも言える人の出会いとそれによって生み出された創造物に驚かされる。写真植字の誕生の最初の舞台となった戦前の革新的な企業、星製薬。製薬会社と印刷という不思議な組み合わせで出会った森澤信夫、石井茂吉。このふたりが生み出したのが、写真植字である。 やがて彼らは別れて、モリサワ、写研の二つの個性的な会社が出来、写植・印刷業界に革新を起こす。写真植字からは、金属活字では実現が難しかった自由な書体を創り出す書体デザイナー中村征宏が生まれ、その書体と写真植字の特性を生かしたデザインを作り出したデザイナー杉浦康平へ続く。連鎖反応で次々に創造されたすばらしい成果物の数々を、この本は明らかにしている。 写真植字はひとつの業種として成り立ち、たくさんの写植会社が生まれた。社員何十人、何百人の会社もあったが、多くは家族でやったり、一人から四人くらいの写植屋が多かった。昭和の高度成長期では、確かな技術力があればそれに見合う報酬が約束されていた。写植屋さんは確かな技術の職人が多かった。デザイナーの作品を支えていたのは、そんな写植職人だった。 時代は変わり、黒船のように海の向こうからDTPがやってきた。写真植字は隅に追いやられていき、写植会社は廃業あるいはDTPに変わっていった。 写真植字とはなんだったのか、それで文字を打つ技術はどのようなモノだったのか。写真植字の文字から誘発されてできたデザインは、どれほど印刷物を豊かにしたか。消えていった写真植字だが、その成り立ちや紡ぎ出した物語を知るのは、DTPを使う上でも決して無駄ではないことをこの本は解き明かしてくれる。 写植の時代を生き、今も組版をしている私は、デザインに携わっている人、これからデザイン業務を希望する人たちに、創作をするための豊かな教養となる本書を読むことをぜひお勧めする。そして、杉浦康平のデザインの土台を支えた写植/組版や印刷の、多くの無名の職人や労働者たちに思いを馳せてほしい。(みやぢ・さとる=組版・DTPオペレータ・WORK STATION えむ代表・「大阪DTPの勉強部屋」主催)★あべ・たくや=愛知淑徳大学創造表現学部准教授・デザイン論・メディア論・記号論。デザイナー。共著に『いろいろあるコミュニケーションの社会学』など。