明治から令和までの日本の「歌」を紐解く 土佐有明 / ライター 週刊読書人2023年6月30日号 歌というフィクション 著 者:大谷能生 出版社:月曜社 ISBN13:978-4-86503-160-7 〈近世・近代・現代を貫く日本語詩歌論。大谷能生の音楽批評の集大成〉という鼻息の荒い帯文はカマしでもはったりでもない。七〇〇頁近くにも及ぶ大谷能生『歌というフィクション』(月曜社)を読み終えた今、知恵熱で上気しながらこれを書いている。本書の内容を概観するのは難儀だが、明治から令和までの日本の歌を紐解いた類稀なる労作、と言っていいだろう。 序盤、大谷は歌の成り立ちを、吉本隆明の「自己表出」「指示表出」という概念を用いて析出する。このふたつの定義は難解かつ曖昧であり、未だに説が定まらない。詳細は吉本の『言語にとって美とはなにか』に譲るが、ひとりで対象に向きあい、個人的に心が揺らぐのが「自己表出」。「指示表出」は、複数人での日常会話や外に向けた伝達や説明――。ひとまずそう措定しておこう。 作詞家の重要な役割は、日々の生活の細部に「指示表出」を与えることだ、と大谷は言う。携帯電話が普及すれば、それが登場する歌が増えるのは必然だ。本書でも論じられている秋元康の詞などは、後者の典型だろう。ある曲が繁華街でかかった時にどう響くか、いわゆる「街鳴り」を秋元らが意識しているのは有名な逸話である。 様々な歌の成立や履歴を圧縮したチャプターでは、三味線漫談家の柳谷三亀松の名前が挙げられる。柳谷は江戸末期に生まれた都々逸という庶民芸能を、他の邦楽と混交させた要人だ。彼の創作や批評が現代人が邦楽を聴く耳の基準点となっている。大谷はそう述べる。その後は、記号論や言語学からの援要を筆頭に、和歌、連句、俳句、川柳、といった日本の定型詩を引きながら、中村八大、永六輔、坂本九らにも言及する。 大谷自身、自分が何を調べているのか分からなくなってきた、と中盤で述べているが、それは読者も同じことだ。博覧強記で鋭敏な耳を持つ大谷はしかし、あえてなのだろう。整然と自説を開陳するというよりも、偉人たちの言葉へ寄り道をしながら、延々と迂回と旋回と蛇行を繰り返す。例えば、一八七二年生まれの小説家/劇作家である岡本綺堂が、自分とちょうど百歳違いだと気付いた大谷は、この年代差に着目する。すると、他に七二年生まれの大物として、小説家の島崎藤村、演歌師の添田唖蝉坊、映画で無法松の一生を演じた冨島松五郎がいることに気付く。そして、彼らの業績に触れることで、本書が平面ではなく立体的な相貌を帯びてくる。 筆者が最も惹かれたのは、九〇年代以降の日本のロックやJポップに関する考察だ。例えば、椎名林檎について。椎名林檎のピアノの弾き語りを見た大谷は、〈見事に典型的なメジャー・セブンス・スタイルの六〇~七〇年代代スタイルで、この領域において彼女は桑田佳祐の正統的後継者である〉と言う。椎名がザ・ピーナッツを愛聴していたことが、その論を補完する。また、椎名がSMAPや石川さゆりに楽曲を提供していることに触れ、本人は職業作曲家希望だったことを見事に炙り出す。 宇多田ヒカルは〇〇年前後からトラック・メイカーとしても活動していた、というのも重要な点だろう。彼女が自身の音楽を作り始めた九〇年代後半は、シーケンサーやシンセサイザーやサンプラーといった機材が普及し、それらを使って音楽制作をスタートさせた人たちが作品を量産した時代だった。宇多田もそのひとりで、彼女を「スタジオの音楽家」と指摘する向きもある。 確かに、彼女の音楽の特徴である密室感や親密さは、小さな頃からパソコンで音楽を作り、スタジオで長時間を過ごしてきた来歴を考えると納得できる。そして、彼女が数えるほどしかライヴを行っていないことを考えると、腑に落ちる話なのである。 また、伝統的な七五調による言葉の構成から完全に離れた世代の代表として、大谷はMr.Childrenの桜井和寿の歌詞を挙げる。以下は本書からの引用である。 〈彼が描くのは九〇年代の青年の日常の風景であり、ということは、バブル崩壊と就職氷河期、終身雇用制の崩壊から非正規雇用が常態である社会への移行期を、言葉と音楽でどのように「指示」するか、ということが彼の試作の中心的な課題であった〉(同書、五五一頁) かなり遠回りになったが、ここで再び「指示」というキーワードが浮上してくるのが興味深い。独特のタイム・フィールで言葉を当てはめてゆく桜井の書法は、非正規雇用などの社会問題を仄めかし、かつ、文体は散文のようにカジュアルだ。 先出のように、何を調べているか分からなくなってきた、という大谷だが、どこを着地点とするかは読者次第だろう。肥沃で広大な歌の世界を追求するのに、七〇〇頁近くを要したのは必然だったはず。知の迷宮に入り込む快楽に酔いしれる本書、これぞまさしく大谷の畢生の大業である。(とさ・ありあけ=ライター)★おおたに・よしお=音楽家としてサックス/CDJ/PCなどを組み合わせた演奏で、多くのバンドやセッション、録音に参加。演劇・ダンス作品など舞台芸術にも深く関わる。著書に『貧しい音楽』『ジャズと自由は手をとって(地獄へ)行く』『平岡正明論』『平成日本の音楽の教科書』『ニッポンの音楽批評150年100冊』。一九七二年生。