本土と米国のあいだで翻弄されつつ選択する? 兼子歩 / 明治大学政治経済学部准教授・アメリカ史 週刊読書人2023年6月30日号 観光と「性」 迎合と抵抗の沖縄戦後史 著 者:小川実紗 出版社:創元社 ISBN13:978-4-422-20299-0 本書は観光と基地という、沖縄を語る上で避けることのできない特徴を、同時にかつ関連させつつ分析する意欲的な書である。著者は戦後の米軍政時代から日本復帰、そして二一世紀までの沖縄の「観光」をめぐる言説を歴史的に分析し、他方で米軍と沖縄と観光をつなぐ線としてセクシュアリティ、特に性産業とその語られ方を同時に検討する。 日本本土の沖縄観光言説と沖縄内の観光言説を綿密に追跡することで著者が明らかにするのは、観光という言説の多面性と複雑さである。戦後しばらくの沖縄観光は戦跡訪問が中心となっていたが、沖縄の日本復帰以降は、本土においてエキゾチックなリゾート地としての沖縄が語られていく一方で、沖縄では様々な論争が生じた。観光こそ復帰後の沖縄経済を自立化させる産業であるという期待が語られ、他方では本土の論理による一方的な開発に対する反発が海洋博をめぐる観光批判の言説として表出する。バブル期以降、海のリゾートとしての沖縄が全面に打ち出され、基地は後景に退いていき、港川の「外人住宅」のように「古き良きアメリカ」イメージを体現させる観光地化も登場するようになる。 著者によれば、沖縄における観光と不可分に展開してきたのが、歓楽街での性売買をはじめとする性関係をめぐる議論であり、これもまた日本・米軍・沖縄の歴史的な関係の変遷と密接に連動しながら展開してきたのだという。復帰以前の沖縄では、性売買が米軍による性暴力から「一般の」沖縄女性を守る防波堤として語られ、復帰すると米兵以上に本土男性による買春が批判の対象となり、沖縄の本土への従属をめぐる議論を象徴するようになる。また、とりわけ海洋博をめぐる論争のなかで、観光と沖縄のあるべき姿の関係も模索される。やがてバブル期の円高が米兵の懐を苦しめると、今度はアジア人女性セックスワーカーや沖縄男性による買春をめぐる論争が生じるようになり、沖縄社会の中の性差別問題に目が向けられる契機の一つとなったという。他方、米兵男性と積極的に恋愛・性関係をもつ沖縄女性が「アメ女」と呼ばれ、侮蔑を受けながらも主体性を発揮して沖縄男性の性的な優位性を相対化する存在となったのだと、著者は論じる。 本書を通読して評者にとって興味深かったのは、観光をめぐり様々なアクターが提示する言説の幅の広さである。本書の副題が示すように、観光を本土や米軍人に奉仕するものとしてのみ語るのではなく、沖縄の自立の手段としての観光、一方的なイメージの押し付けとなりうる観光のあり方への批判論など、観光をめぐるせめぎ合いの諸相に光を当てている点である。また、観光と結びついた性売買の語られ方も、家父長的な「防波堤」論から家父長的なジェンダー関係への批判の契機へと変化する様相を理解できる。こうした本書の視点は、近年の観光社会学・人類学がホストとゲストの関係を固定的な支配・従属関係と前提せず、ホストのエイジェンシーを強調するという研究動向にも則したものである。 若干気になる点もある。沖縄観光産業を主体として一枚岩的に描きがちだが、財界・観光業経営者と労働者では立場が著しく異なるだろう。本書では観光労働者やセックスワーカー当事者の声は語られない。また、観光には、土地の風景や文化や歴史や従業員までも消費対象化していく点で他の産業にない特徴があるが、その特徴はホスト・ゲスト関係にどう影を落としたのか。沖縄が観光重視の経済を志向し、あるいは「アメ女」が沖縄男性ではなく米兵男性を選ぶ時、その選択を促す状況、もっと言えば日米の沖縄政策のあり方をどこまで問おうとしているのか。本書では軽く言及するのみのポストコロニアル・フェミニズム批評に対する著者の理解は適切なのか。 とはいえ本書は、沖縄観光を歴史社会学的に考えるために有益な視点を数多く提起してくれる好著である。多くの読者を得ることを期待したい。(かねこ・あゆむ=明治大学政治経済学部准教授・アメリカ史)★おがわ・みさ=立命館大学授業担当講師・歴史社会学・観光社会学・文化社会学。二〇二二年に、立命館大学大学院社会学研究科にて博士号(社会学)を取得。主要論文に「海洋博批判とセクシャリティ観光の接合」など。一九九三年生。