ロックから旅立ち、ロックへ帰還する 湯山光俊 / 文筆家・哲学 週刊読書人2023年7月7日号 ロックの正体 歌と殺戮のサピエンス全史 著 者:樫原辰郎 出版社:晶文社 ISBN13:978-4-7949-7356-6 饒舌な本である。最新科学や歴史的知識や人文学が、ロックの名だたるアーティスト達の名前と共に自由連想法のように結びつく。こんな本はかつてなかった。情熱に溺れず、理性に固まらず、ユーモアを乗りこなした文体で〈ロックの正体〉=〈人間の正体〉に迫っていく。学識が飾りではなく、血肉になった書物だと言えよう。 たとえば、著者は第一三章「発表します。資本主義の正体について」で、ロックの本性と重なり合う人間性の原理を軽やかに導く。そもそも資本主義という表現は、その実相からは正しい表現とは言えない。共産主義のような人為的〈イデオロギー〉ではなく、これは自然発生してきた〈システム〉だからだと著者は言う。競争原理でそれぞれのスペックを生き生きと引き上げながら、その競い合いの中で利他的にさえなる進化過程を背景に起動してきた。黒人奴隷の生きるための歌からロックンロールが生まれるように、いわば生存戦略として、自発的に生まれてくる〈システム〉なのである。 六〇年代、ロックがカウンターカルチャーであった頃、商業主義は徹底して嫌悪されてきた。それは黒人奴隷という搾取されるものの音楽からやってきたロックの使命であったとも言える。圧倒してこようとする力への反動形成として、ロックは機能していた。しかし七〇年代に入り巨大産業と化したロックは、自身が資本制システムそのものに変化した。このシステム化がむしろ、ロックの深層をあらわにしたとも言える。資本システムは単純な負のイデオロギーではなく、生存の過程で自然発生してきたが故に、その内在化された原始的〈生存の音楽〉の機能をより一層強化したのである。 著者はロックがダニエル・C・デネットの提唱する「リバース・エンジニアリング(逆向きの工学)」の機能をもっているという。これはたとえば既存の工業製品を分解して、その製造工程を遡り、新たに再構成して機能を高めることをさす。「ロックとはカバーであり模倣であるが故にリバース・エンジニアリングを起こして文化を進化させる装置」(二四一頁)であると続ける。これは古い細胞を分解しながら機能再生し進化していく生命システムに相似している。そして原始的なブリコラージュにも繫がっていく。ロックはいわば、原始から続くシンプルな生存戦略なのである。 さらに本書はこの生存戦略を発展させて、「ロックの正体」を〈発生の視点〉から鷲摑みにする。そもそもロックとは〈模倣〉だ。では、なんの〈模倣〉か? 固有の文化を奪われ、異文化に連れてこられた黒人奴隷達が創造した音楽の〈模倣〉から生まれたのだ。南部の黒人奴隷達のブルースやラグタイムがジャズを創造し、やがてブラスバンドの〈模倣〉が白人のビックバンドを誕生させたように。リズム&ブルースやブラスバンドがカントリーを巻き込み、ブリコラージュされた黒人奴隷の音楽を白人が〈模倣〉することから、ロックは生まれてきたのである。 この視点は、軽妙な語り口の本書を一瞬で真顔に変えさせる威力を持つ。なぜなら著者も指摘するように、これは〈奪われた者達〉の方法による文化の再興なのだ。身近にある物を利用し組み合わせ、人類の歴史を猛烈な速度でやり直し、「人類の歴史の、大きな転換期に起きた出来事をもう一度再現するような出来事」(三六〇頁)なのである。その原動力は〈模倣〉であり、そこから未来を創造する行為こそ、「ロックの正体」なのだと著者は辿り着く。 しかし同時に、饒舌な本書には無数の「ロックの正体」が内包されている。書かれた言葉の先へ渡される、鳴り響くロックの中にそれらの問いは返される。本書を読むことはロックから旅立ち、諸学の土地を遍歴して再びロックへと帰還することを意味している。(ゆやま・みつとし=文筆家・哲学)★かしはら・たつろう=映画監督・脚本家・文筆家。著書に『海洋堂創世記』『「痴人の愛」を歩く』『帝都公園物語』、監督作に『美女濡れ酒場』、脚本作に『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』など。一九六四年生。