平成三十年間を通し未来を考える 森貴志 / 梅花女子大学准教授・編集・出版メディア論 週刊読書人2023年7月14日号 タイポグラフィ・ブギー・バック ぼくらの書体クロニクル 著 者:正木香子 出版社:平凡社 ISBN13:978-4-582-83919-7 先日、「活字離れという逆風」とのフレーズの入ったメールが届いた。ここでいう「活字」とは当然「読書」にいいかえられるもののことだが、そもそも本来の意味の「活字」はすでにもうわれわれの生活から離れている。書体、あるいはフォントと呼ばれる文字のかたちの種類が存在するだけで、一般的に元来の「活字」はとうにない。 本書は、一九九四年にリリースされた小沢健二「今夜はブギー・バック」のCDジャケットや歌詞カードにおける書体の分析からはじまり、九〇年代以降の書体・フォントの変遷を追うエッセイ集である。マンガ、雑誌、広告といったいわゆるタイポグラフィに直結するイメージをもつ媒体から、CD、テレビ番組にいたるまで、そのメディアで使用される書体をコンテンツとともに分析する。平成三十年間がタイポグラフィにとって貴重な期間であったことは、組版技術が写植からDTPへと変化したことによる。誰もがかんたんに組版をすることができるDTPは、デジタルフォントの普及を促進させた。その過渡期がちょうどこのころであり、多様な書体・フォントが交錯し、発展してゆく。 「SWITCH」について「内容に興味があるのかわからないときも、雰囲気を味わいたくてとりあえず毎回読む。そんな楽しみ方を教えてくれた雑誌だ」と述べられているが、このほかにも「リラックス」、「クウネル」、「アルネ」……と、取り上げられている雑誌は数多い。それらをつくる書体を具体的に挙げ、それぞれの雑誌の「雰囲気」を記述する様子は、書体を通したメディアへの愛を感じる。あるいはマンガ『NANA』の物語を書体の使い分けといった観点から読む試みは、その作品を総合的に読むもので、非常に興味深い。「週刊少年ジャンプ」を取り上げる部分で「書体の選択も感性の一部であり、絵と文字が組み合わさって、初めて、マンガになる」とあるが、何かひとつが欠けていても、それはマンガやその作品にならない。 「現在、写植の書体をいちばん身近に感じているのは、ひょっとすると、文字の読み書きを覚えたばかりの子どもたちかもしれない」という指摘には納得させられた。ロングセラーが多い絵本や児童書のジャンルでは、刊行当時のままのものがいまも流通している場合がある。本書でも取り上げられているように、祖父江慎が「うさこちゃんの絵本」をリニューアルしたときは話題になったが、当時、そのフォントのいまっぽさと違和感で、評者などは落ち着かなかった。しかしそれがまた、次の新しい作品全体の雰囲気をつくるのだ。 書体やフォントの違いが、読書も変える。評者は書体が違えばそのテクストの読みも変わると考えているが、こういった多くの例が示されると、まさにそれが実感としてわかるものである。『ハリー・ポッター』や村上龍の『69』が違う書体で表現されている実例を並べて見ると、そこから伝わる差異が際立つ。本でいうと、内容だけでなく、装丁やデザイン、造本、あるいは挿絵といったそれぞれが構成することによって成り立つ立体的な表現装置のひとつの要素が、書体なのである。 あれは何の本だったか、いつも読んでいる文庫本のラインナップで、書体が読み慣れていたものと違い、読めなかったことがある。子どものころの話である。たとえばすべてがスマホで済むような生活になったいま、実はわれわれの文字に触れる機会はますます増えている。ただしそこで使われている書体やフォントは均一的で、こういった書体の感覚、違和感はなくなってゆくのではないか。 一方で、狭義の「活字」が消え、長い文章を読む読書離れも進んでいるなかでも、書体やフォントの種類は豊富になっているのも事実だ。世界は書体にあふれている。街を歩けば、さまざまな種類の文字のかたちに遭遇する。著者は「文字づかい」ということばを使うが、それは風景の雰囲気をつくる。社会をつくる。文化をつくる。コミュニケーションを支える。世界を築く。 本書は、平成三十年間の歴史=過去をたどっただけでなく、書体やフォントの未来を考えさせる一冊である。(もり・たかし=梅花女子大学准教授・編集・出版メディア論)★まさき・きょうこ=文筆家。「文字の食卓」主宰。レタリング技能検定中央試験委員。著書に『文字の食卓』『本を読む人のための書体入門』『文字と楽園 精興社書体であじわう現代文学』など。一九八一年生。