女ことばを生んだ土壌と歴史的背景、生きた言葉の比較文化論 斎藤佑史 / 東洋大学名誉教授・ドイツ文学 週刊読書人2023年7月14日号 女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語 著 者:平野卿子 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-63162-2 戦後、日本は各方面で男女平等化を進めてきたものの、最新の男女平等ランキングでは、主要先進国では最下位が続いており、低迷から抜け出せないでいる。特に政治と経済の分野では、世界の中で最下位に近い状態である。本書は、この男女不平等、格差の問題を「女ことば」という日本語特有の話しことばに注目した意欲的な問題の書である。著者は長年翻訳家としてドイツの小説、児童書、ノンフィクションなど多数翻訳し、その翻訳者としての豊富な体験から、日本語を見つめなおし、ジェンダー格差の視点から問題点を掘り下げているが、時に脱線するほどの勢いで、語りかける文体も本書の魅力になっている。 本書では、まず「性別の美学」を手がかりに、女ことばとは何かを説明し、次に女ことばを生んだ土壌とその歴史的背景、さらにそこから生じる日本の女と男の関係性を西洋社会との比較でみていくことになる。本書のキーワードとなる「性別の美学」とは、日本語では当たり前になっている男女別のことばが、区別ではなく本当は差別に根差しているのではないか、それを区別という用語で美化しているのではないかということを問いかけるものである。著者は、あるドイツ人女性の日本文学研究者の本からこの着想を得て、日本特有の女ことばは、まさに「性別の美学」の申し子ではないかと、実例を挙げて論を展開する。例えば、女ことばには男ことばの「やめろー」の命令はなく、「やめてー」のお願いがあるだけで、制約がある。悪態語がないのも女ことばの特徴であるという。そこで興味深いのは、女ことばは、日本の先祖由来の伝統的な言葉ではなく、明治以降の「女らしさ」を求める為政者の都合で作られたものであり、上品でなければならないという制約もそこから来ているという指摘である。この「女らしさ」「男らしさ」という性差を区別することばこそ曲者であり、明治以降の日本の近代化の問題とも結びつけて本書ではされている。 本書の特徴は、さらに著者が翻訳家だけに、西洋語、特にドイツ語との比較が多く、また著者自身がドイツとアメリカに留学し、若い時から日本語と西洋語との違いを異文化体験として経験してきただけに、生きた言葉の比較文化論としても読めるということである。女性差別はなにも日本だけの問題ではなく、西洋を含めた世界の問題であるからでもある。ただ日本の場合には、女ことばが、西洋語と違って、根の深いところで男女差別と結びついているばかりでなく、日本語自体の性差別、たとえば嫉妬や妄想など漢字に女偏や女という字が入ったものの多くがネガティブな意味を含んでいるという厄介な問題がある。日本人なら漢字を使わざるを得ず、女性として日本に生まれた以上、身についてしまった女ことばと本当に縁が切れるのか、この著者の葛藤こそ、本書を生み出した背景にあるものと言ってよいであろう。ただし女ことばで、注意すべきは、それを話すのは、年配の女性が多く、今の若い世代は、男女共通の中立語を使う傾向にあるという。これは性差別に対する女性の意識が変化してきたものと歓迎されるが、しかしそれがはたして本物なのかと著者は問いかけるのである。その意味では、本書は女ことば、中立語を無意識、無自覚で使っている女性たちに対する、一種の啓蒙書ともなっている。最後に著者は、女ことばは生き残るかと問いかけるが、生き残るとすれば、特定の人物像を思い浮かべる言葉遣いとしては生き残るであろうと締めくくる。 本書は、タイトルから性差別や言葉に関心のある女性向きの本とも言えるが、男性優位社会に長く安住してきた世代の男性にとっては、これまで見えてこなかった、なるほどと気づかされる女性ならではの視点が各所にあり、男女の話しことばの違いによって顕在化される性差別の真相の一端が見えてくる注目すべき書である。(さいとう・ゆうし=東洋大学名誉教授・ドイツ文学)★ひらの・きょうこ=翻訳家。メアス『キャプテン・ブルーベアの13と½の人生』でレッシング翻訳賞受賞。訳書にマン『トーニオ・クレーガー』など。一九四五年生。