日常から政治へと繫がる道筋 セメントTHING / ライター・ポップ/クィアカルチャー 週刊読書人2023年7月21日号 おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門 暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信 著 者:清田隆之 出版社:朝日出版社 ISBN13:978-4-255-01339-8 共同通信から二〇年から二二年まで配信されていたエッセーをまとめたこの本は、四〇代の男性であり双子の父親でもある著者が、暮らしのなかで日々感じたことを綴った記録だ。その話題は流行りのエンタメから育児体験記、男子校時代の記憶から政治についての意見まで多岐に渡る。 まず第一章は軽妙なエッセーであると同時に、「男性」について考えるためのブックガイドとしても読むことができるだろう。ここ数年に出版された様々なジェンダー関係の書籍を引きながら、著者はその内容を自分の体験と重ね合わせ考えていく。男性とケアのやっかいな関係、日々の営みに埋め込まれたマチズモ、ホモソーシャル内で育まれるミソジニー。私たちの毎日のなかに、「男性」について考える多くの糸口があるということが、角度を変えて示される。 育児について扱った第二章では、著者の思考はより切実に生活と密着したものになっていく。コロナ禍のはじまりとともに育児生活へと突入していった著者は、目の回るような忙しさのなかで、気力と体力の限界に何度も直面することになる。結果として著者は最後に大きな決断をするのだが、ここまで追い込まれてしまうのはなぜなのか。政治や社会のあり方、そして自分自身のトラウマにも向き合いながら、違和感や辛さについて考え続ける。 そして第三章においては、現代の日本のエンタメに関わる様々な事象を分析した文章がまとめられている。メイクを通しセルフケアに目覚める男性を描いた漫画、弱さがもつ力について省察する演劇、抑圧や暴力の気配のない優しい笑いの感覚。ジェンダーや人間関係に関する、新しい切り口を追求していく作品がいくつも紹介されていく。この二年での世間の感覚がいかに変化したのかが、垣間見えてくるかのようだ。 最後の第四章では、著者が自分の内面を見つめ感じたことが増えてくる。過去の記憶を思い返しながら、いま振り返るからこそ見えてくるものが紡がれていく。暴力や差別を隠蔽する社会の構造や、男性の自己開示の難しさ、そして他者と感じたことを共有する重要さが率直に語られる。 一見関係のない話が並んでいるようにも映るが、共通したテーマがそこからは立ち上がってくる。なかでも主軸となるのが、現代社会において「男性」として生きることだろう。ジェンダー平等が追求すべき目標として設定されても、男性の社会的役割やそのイメージは女性と比べまだまだ見直されることは少ない。 著者は男性である自身の立場から、自分の体験を仔細に検討することを通し、「男性」というもののあり方を再考していく。「男とはそういうもの」で済まされてきたような物事からも目を逸らさず、自身の感情にしっかりと耳を傾ける。それはすなわち、「男性」に関する固定観念を疑い、それを解体していく行為でもある。虚心に自己を見つめることは、内面化された社会的な規範や、それを取り巻く状況を疑うことでもあるのだ。ミクロな自分語りがやがて、マクロな社会問題と接続されていく。日常から政治へと繫がる道筋が自然とみえてくるのが、このエッセーの面白いところである。 さらに、それが気軽な「自分語り」の形で行なわれていることも本書の魅力だ。「政治」や「ジェンダー」について語るためには、高度な専門性に支えられた理路整然とした主張が必要だと思い込んでいる人は多い。むろん専門家の見解を軽視すべきではないだろう。だが、個々人が日常を生きるなかで直面する様々な違和感も、社会が取りこぼしてはならないものである。著者は自身が感じたことを率先して言語化していくことで、多くの人が自分の体験を恐れずに口にしていくことができる社会の重要性を訴える。 親密な友達とのまさに「おしゃべり」のようなくだけた語りが、いつの間にか大きな問題へと繫がる。どんなことでも、とにかく声をあげてみよう。本書は読者の背中を優しく押してくれる。(セメントTHING=ライター・ポップ/クィアカルチャー)★きよた・たかゆき=文筆業。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。これまで一二〇〇人以上の恋バナに耳を傾け、恋愛とジェンダーをテーマにコラムを執筆。著書に『さよなら、俺たち』『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』など。