十九世紀フランスで「傑出した仕事を遺した」日本人 鵜飼敦子 / 帝京大学講師・ジャポニスム・日仏文化交渉史・世界美術史 週刊読書人2023年7月28日号 園芸のジャポニスム 明治日本の庭師ハタ・ワスケを追って 著 者:鈴木順二 出版社:平凡社 ISBN13:978-4-582-83922-7 パリの街を歩いていると「Bonsaï」と書かれた植木屋を見かけることがよくある。小ぶりの鉢に植えられた観葉植物が、手軽に買えるような値で売られているのだが、「ボンザイ」という言葉の浸透とその人気に驚かされる。「プラントハンター」たちによって探索された日本の植物が世界に広まり、日本の開国以前からヨーロッパに運ばれて栽培されていたことや、オランダ王立園芸振興協会を設立したシーボルトの成果などはよく知られている。しかし、十九世紀のフランスで、日本庭園を造っていた日本人がいたという事実は、これまでほとんど知られていなかった。 本著は、フランスの文学賞に名を残すゴンクール兄弟が十九世紀後半におけるパリの世相を記録した「ゴンクールの日記」に登場する庭師「ハタ・ワスケ」が「畑和助(一八六五-一九二八)」であることをつきとめ、その生涯と功績を明らかにするものである。その事実を、当時の新聞や雑誌の記事のみならず、フランスの植物学会誌、また古写真に写り込む職人の姿から解き明かす。その他にも、関係者の手紙や回想録、子孫へのインタビュー等から、ハタの仕事に感銘を受けた人々が残した記録や記憶のフラグメントを集めていく過程はパズルの膨大な数のピースをはめ合わせていくかのような作業であったことだろう。数々の史資料を渉猟し、現地で調査をおこなった著者の地道な努力は計り知れない。 一八八九年にフランス革命一〇〇周年記念として開催されたパリ万国博覧会において、明治政府が出品した日本庭園を造った畑は、博覧会終了後もパリに残り、十九世紀パリ社交界の寵児であったロベール・ド・モンテスキウ伯爵の家のお抱え庭師となった。さらにはロスチャイルド一族のエドモン・ド・ロッチルド男爵の館で本格的な日本庭園の築庭に三〇年間にわたり携わっていたことが本著で明らかにされる。その庭師の引退後と死後の遺産の行方に至るこの謎解きは読み手の好奇心を大いに刺激する。本書で示される豊富なエピソードから、ハタという人物像がありありと浮かびあがる。覚えたての格言ばかりを使ってコミュニケーションを取ろうとし、格式ばったフランス語をあやつる日本人のハタ。絞めたウサギを毎日食べさせられ主家を逃げ出した庭師のハタ。ワインキャビネットを持ち、地下の倉庫にもワインを買いおいていたハタ。「いくつもの行灯に火をともし」屋外でのディナーを演出したり、「エレガントな」活け花を室内にしつらえたり、三日月形の窓のついたあずまやをつくる職人のハタ。本書が浮かび上がらせるハタのいくつもの顔から明らかになるのは、造園のみならず、それに伴う建築物まで職務としてこなし、「芸術庭師」としてフランスの農業省から勲章を受けるという、「単なる」植木職人と一線を画すハタの実像である。 ハタは「可愛らしい籠(パニエ)」をつくって欲しいとモンテスキウ伯爵から依頼された。伯爵の肖像画を描いた「当時の売れっ子画家」ポール・エルーによって描かれていた竹の籠が、ハタのものである可能性が示された点はフランス絵画史研究上の大きな発見であろう。アジサイとともに描かれた竹籠の数々の作品群は、それだけでもエルーのジャポニスムと呼べる。そのように「傑出した仕事を遺した」人物像や交流関係が明らかにされることにより、ハタという人物がプルーストの作品に着想を与えたであろうという推理も現実味を帯びるのである。 さらにこの書は、フランスの知られざる日本人の発掘のみに終わらず、畑という人物がどのような時代にどのような人々と交流を持ったのかを描く中で、園芸の商社などの業者の働きまでも明らかにする。江戸時代に園芸趣味が大名から庶民の間で広がったとき、自分の庭を持てない庶民の間で流行ったとされるのが「箱庭」である。イギリスでは一九〇七年に開設された横浜植木株式会社ロンドン支店の社員がつくった箱庭が評判となり、材料や職人が派遣された。フランスでは遅くとも一九二〇年代から知られるようになるが、ハタも箱庭づくりの担い手であった。また、盆栽の競売がフランスでおこなわれていたことは、近年フランスの研究者によって明らかになったが、本書はその初期の競売では落札者には貴族とパリの名士が多かったのに対し、一九〇九年頃から市民階層の人々が落札するようになったと分析している。現代にも続く「Bonsaï」ブームが、フランス社会の人々に広く愛好されるようになった歴史的過程が描かれていることは非常に興味深い。美術や工芸、服飾や舞台芸術といった分野でのジャポニスム研究はすでに蓄積があるが、園芸を取り上げた本書により、新たなジャポニスム研究の分野が誕生したと言えるだろう。(うかい・あつこ=帝京大学講師・ジャポニスム・日仏文化交渉史・世界美術史)★すずき・じゅんじ(一九五二―二〇二二年)=慶應義塾大学名誉教授・美学・芸術論・園芸史。著書にLe japonisme dans la vie et l'œuvre de Marcel Proust、訳書にジャン=イヴ・ダディエ『二十世紀の小説』など。