「民話」の力、「作文」の力、文学の力 山本唯人 / 社会学・記憶継承論 週刊読書人2023年7月28日号 震災を語り継ぐ 関東大震災の記録と東日本大震災の記憶 著 者:石井正己 出版社:三弥井書店 ISBN13:978-4-8382-3404-2 東日本大震災から今年三月で一二年が経過した。記憶が薄れていく中で、あの震災をどのように伝え残していけばいいか、関心を持っている方も多いだろう。本書はこうした関心に答えるため、日本文学・民俗学の専門家として、主に東日本大震災の被災地である岩手県釜石市と宮城県山元町、そして著者の出身地であり在住地である東京という三つの場所で行なわれた講演録をまとめた、ユニークな著作である。 第1章では福島・岩手・宮城で受け継がれてきた「民話」の力、第2章では関東大震災後に書かれた小学生と第一高等学校生徒の「作文」の力、第3章では柳田国男・佐々木喜善による紀行文、昭和津波後、釜石小学校長が発行した教訓の冊子、雑誌『風俗画報』などの「記録」の力、第4章では『遠野物語』に採録された河童や幽霊の話、宮沢賢治の童話、井上ひさしの戯曲など広義の「文学」の力に注目して、「震災を語り継ぐ」という本書のテーマが語られていく。 日常では東京に身を置き、東北に関わるものとして、関東大震災と東日本大震災を往還しながら、多角的に震災の語り継ぎを模索してきたことが、著者の独自性でもあるだろう。 通読して、講演する著者が過去から受け継がれてきた言葉の一つひとつを、目の前の人びとに向けて、心を込めて手渡そうとする姿が浮かび、感銘を受けた。本書で著者が取り上げる民話や作文は、ある時代の個人によって叙述されたものであるという共通点がある。個人によって述べられたものは、例えば、明文化されたルールに基づいて作成される組織の文書などに比べて、述べられた状況との結びつきが強く、第三者にとって、情報取捨の基準が分かりづらいという特徴を持つ。それらは、人びとの心情に訴えかけ、ありきたりな資料では得られない個別の情報をもたらしてくれる魅力を持つ反面、解釈が難しく、扱いづらさを感じている方も多いだろう。 講演には一つずつ、それが語られた現場がある。本書に関して言えば、その行為の一切は、東日本大震災後という進行形の、ただならない状況と結びついている。その講演が成立した状況を大切に、培った学識を踏まえながら、地声を使い、心を込めて、ていねいに対話を重ねる著者の姿勢は、個人による言述の魅力と解釈の困難さのギャップを埋め、そのことで、過去の個人の言葉をよみがえらせ、目の前の聞き手の反応を引き出す、貴重な実践例になっていると感じた。 著者は、「いじめ」や「高齢化」に関わる民話を紹介しながら、そこには「現代的な課題と向き合うような知恵」が内在するという。民話の持つ同時代の社会に対する批評性こそは、話す行為を動機づけてきた原動力であり、震災を一つのきっかけに吹き出した、美術、文学、記録など、並走する表現活動との接点ともなるものだろう。 第3章の柳田国男、佐々木喜善の歩いた三陸地方をたどりなおし、彼らが採集した話と現地の風景、数十年後の証言、文書記録など多角的な資料を照らし合わせていく作業には、「話」という形を持たない言述を、それでも、そこに示されたことが何であるかを批判的に読み解く学術的な方法の蓄積として、圧倒されるものがあった。目に見えない「話」も、このような検証を伴うことで、それが何を話していないのか、反対に話し手が伝えたかったことは何だったのかが浮き彫りとなり、その真意が一定の根拠を持って絞り込まれていく。こうした「話」の批判的読解は、その継承や資料としての活用の模索にとって、大切な基礎となるだろう。そうした方法が、関東大震災の「作文」という形ある言述=文字記録の分析にどう生かされるのかという学術的挑戦にも注目したい。 本書を知ってしまった以上、「震災を語り継ぐ」というテーマに関心を持つ者にとって、今後の著者の活動から目が離せない。本書に学びつつ、さらなる続編の登場に期待したい。(やまもと・ただひと=社会学・記憶継承論)★いしい・まさみ=国文学者・民俗学者。著書に『感染症文学序説』『現代に共鳴する昔話』など。一九五八年生。