(失われた)黄金時代の記録 児島薫 / 実践女子大学文学部美学美術史学科教授・日本近代美術史 週刊読書人2023年8月11日号 近代日本美術展史 著 者:陶山伊知郎 出版社:国書刊行会 ISBN13:978-4-336-07464-5 題名が示すとおり、一八七四(明治七)年に浅草寺で開かれた油絵茶屋、同年の聖堂書画大展観から書き起こし、一世紀後の一九七〇年代までの展覧会の諸相を取り上げた本である。一般に網羅的に概説する本は退屈になりがちだが、本書では小見出しによって次々とトピックを提示し、それぞれの内容を短くまとめていて読みやすい。そして多岐に亘る内容に関して、実に的確に偏りなく新旧の文献を参照している。この参考文献一覧だけでも、近代日本の美術展史を過不足無く網羅するものと言えるだろう。巻末には詳しい「美術展年表」と「美術館開設年表」も付いていて、本書の内容を補完する。索引を頼りにレファランスとして用いることもできる便利な本である。 このように一見平易でスタンダードな著述でありながら、本書は独自の視点で展覧会の歴史を語るものでもある。まず著者は、明治後期から一貫して百貨店が美術展の重要なプラットフォームであり、実質的に経済的な支援をおこなってきたことに注目する。そして百貨店と連携してきたのが新聞社であり、特に戦中、戦後には新聞社が百貨店と連携して美術展覧会を牽引してきたことに日本の展覧会の特徴を見出している。この点については二〇一七年に「国立新美術館開館10周年記念シンポジウム 展覧会とマスメディア」のなかで村田真氏も「新聞社と展覧会の蜜月時代」という発表を行っているが、本書では中心的なテーマである。 戦後の歴史に残る著名な美術展覧会について述べた六章、七章では、著者の文章は一気に熱を帯びる。著者が注目するのは「アンリ・マチス展」(一九五一年)、「ピカソ展」(一九五一年)に始まる大型海外美術展覧会である。フランス政府などを相手取る展覧会の困難な交渉について、当事者たちの証言、回想、記録を駆使して述べるあたりはスリリングである。ここでは様々な人物に焦点を当てる。読売新聞には海藤日出男という人物がいた。評者もその名前を聞いたことがあるが、本書でその幅広い人脈について知ることができた。「ルーブル・国立美術館所蔵フランス美術展」(一九六一年)、松方コレクション返還(一九五九年)、「ミロのビーナス特別公開」(一九六四年)には萩原徹という外務官僚の存在があった。またミロのビーナスに関しては朝日新聞の衣奈多喜男が交渉にあたり、さらに「ツタンカーメン展」(一九六五年)を大成功へと導いた。国家的に重要な文化財であれば政府レベルの交渉となるが、結局は人間同士のぶつかり合いであり、そこからの信頼関係があってこそ実現する。しかし作品の移動は常に危険を伴う。満足な設備が無い時代によくぞ借用したものである。当時、東京国立博物館で現場の若手学芸員だった嘉門安雄たちの苦労がしのばれる。 一方で、評者が美術館で働き始めた八〇年代後半でも、まだ国公立美術館では「ヒラ」の学芸員の海外出張の予算は無く、国際電話をかけることさえ簡単ではなかった。海外展の出品交渉のためには新聞社の予算で海外出張させてもらうことが当然であり、美術館が新聞社に頼らざるをえない状況があった。著者も八〇年代から読売新聞の事業局で数々の大型展覧会を動かしてきた経歴を持つが、本書は著者が関わる以前で終わっている。この後の展覧会事情については古賀太『美術展の不都合な真実』(新潮新書、二〇二〇年)を参照してもよいだろう。 最後に本書の著者が危惧するのは、戦後ずっと国の文化予算が少なく、特に国立博物館、美術館の年間予算が、新聞社などの共催者が経費を担う特別展を組み込むことを前提としてきたことである。新聞社も百貨店も以前のような力を持たなくなる中、今後どのように展覧会を、いや博物館や美術館そのものを運営していくのか。本書は見方によっては展覧会の(失われた)黄金時代の記録とも言える。それを支えた男性たち(見事に男性しか登場しない)が退場した後、どんな「美術展史」が続いていくのか。転換期の現在だからこそ書かれねばならなかった一冊なのだろう。(こじま・かおる=実践女子大学文学部美学美術史学科教授・日本近代美術史)★すやま・いちろう=読売新聞社に入社後、事業局で主に美術展を担当、二〇二〇年に定年退職。手がけた美術展に「ニューヨーク・スクール」展、「ピカソ 子供の世界」展、「マティス展」など。一九六〇年生。