〈物語〉が持つ力の危険性と可能性 辻隆太朗 / 北海道大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学・修士(文学)・宗教学・陰謀論 週刊読書人2023年8月18日号 人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか 著 者:大治朋子 出版社:毎日新聞出版 ISBN13:978-4-620-32779-2 表題にある「ナラティブ」とは、特定の視点から、自分や社会を解釈し、意味付けし、自分を位置付けるような語り、およびその語られた物語のことだ。「性的少数者への差別是正は推進されるべきだ」などの社会的潮流から、「今の日本社会は女性を優遇し、非モテ男性を虐げている」といった意見がSNSで共有されるあり方、テロ行為を英雄的な自己犠牲とみなすこと、あるいは人生を振り返って再構成して綴る自分史まで、指し示す範囲は広い。本書では「さまざまな経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」(一九頁)と定義している。 著者は毎日新聞編集委員。複数の大学や研究所でテロやサイバーセキュリティなどについて学び、調査報道で定評がある。本書はその経歴を生かし、数多くのインタビューを含む丁寧な取材・調査に基づいて、ナラティブの危険性と可能性を論じている。 特に注目されるのは、SNSによって広がるナラティブの力だ。著者によれば、価値観が多様化し、社会全体で共有される大ナラティブの力が弱体化した現代では、個人の小ナラティブが、同じような境遇の人々からの共感を得て拡大し、時に社会の大ナラティブを突き崩す。伊藤詩織さんや五ノ井里奈さんのセクハラ告発や、小川さゆりさんの告発を一つのきっかけとする「宗教二世」問題の広がりはその好例だ。また、バットマンの悪役ジョーカーの物語――自らを拒絶する社会への報復――に共感したかに思える、二〇二一年京王線刺傷事件のようなローン・オフェンダー(組織に属さない単独の攻撃者)たちも同様に。良きにつけ悪しきにつけ、大ナラティブの価値観に馴染めない、あるいはそれに否定されたと感じる人々にとって、自身と重なるかのようなナラティブが「私の物語」(一三〇頁)として、一種の希望となる、という。 二〇一六年の英国EU離脱派とドナルド・トランプ、それぞれの勝利に貢献したとされる、ケンブリッジ・アナリティカ(以降CA社)のSNS世論工作に関しても、大きく紙幅が割かれている。著者は内部告発者へのインタビューに基き、ナラティブとデジタル技術を組み合わせたCA社の心理操作プログラムを解説する。SNSのデータ解析により個人の性格・嗜好・思想は容易にプロファイリングされ、そこに「オーダーメイド」のナラティブを作成・流布することで行動を誘導できるという。SNS時代ではアルゴリズムで最適化されたナラティブが日常的に発せられ、個人のなかにあるナラティブを書き換えようと挑んでくるのだ、と著者は述べている。 ナラティブによる癒しの事例も挙げられる。例えば、精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点「べてるの家」で行なわれている「当事者研究」。これは自らの主観的現実を言語化し、その意味や「自分の助け方」を当事者自身が研究する実践だ。また、あるホロコースト・サバイバーは自伝を執筆することで、過去の記憶を「自分に納得のいく物語」(八五頁)に落とし込み、それがPTSD克服に繫がっている。興味深かったのは、「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」の活動だ。テロや地域紛争では、自分たちの道徳的優位や被害者性を強調し、相手を悪魔化するナラティブが、戦いを継続・激化させる力となる。同会は双方の遺族がナラティブを交換し、「相手も普通の人間なのだということ」(三四七頁)を理解しあうことで、和平の前進を試みている。語ることを通じて、整理のつかない記憶や感情を捉え直し、自身に受け入れられるよう再構成する。語り合い共有することで、支えあいを可能にする。これらの事例は、ナラティブのそのような力を感じさせる。 本書に一貫するのは、客観的事実や論理的説明よりも、紡がれる物語のリアリティこそが、より人の心に深く入り込む、という考えだ。確かに、"Post-truth"や"Truthiness"といった言葉が流行する現代では、各人の心に適う主観的な「真実らしさ」こそが力を持つのかもしれない。このことは、陰謀論が近年注目を浴びるようになった、ひとつの要因でもあるだろう。自分が抱える生きづらさ、不満、疑い、等々の整理できない違和を言語化してくれるナラティブに出会ったとき、「自分に納得のいく物語」「私の物語」として、人はそれに同化し、動かされるのかもしれない。であれば、SNSのアルゴリズム等によって、誰かにとって都合の良いナラティブに動かされる危険性を、「考えすぎ」と斥けることはできない。 が、一方で、ナラティブの力を過大視することにも疑問は残る。例えば、CA社の事例が問題となったのは、主にデータ収集の違法性とプライバシー侵害に関してで、「心理操作」の有効性は疑問視する向きも多い。また本書自体が、「ナラティブ」という視点で「暴走する若者」「トランプ支持者」「排外主義的ナショナリズム」等の飲み込みがたい事象を自己の理解の枠内に解消し、「自分に納得のいく物語」に仕立て上げたナラティブなのでは、という感も否めない。勿論、本書の趣旨からも、耳に心地よいナラティブに流されることが是とされるわけがない。本書の主張を受け止めたうえで、客観的事実を踏まえ、自分なりの解釈――ナラティブを構築することが、読者の責務となるだろう。(つじ・りゅうたろう=北海道大学文学部卒業・同大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学・修士(文学)・宗教学・陰謀論)★おおじ・ともこ=毎日新聞編集委員。著書に『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』『歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか』など。一九六五年生。