十八世紀バーレスク詩の潮流の見取り図を示す 西山徹 / 名城大学教授・英文学 週刊読書人2023年8月18日号 諧謔の詩神 英国十八世紀のバーレスク詩を読む 著 者:海老澤豊 出版社:音羽書房鶴見書店 ISBN13:978-4-7553-0435-4 本書は『田園の詩神』、『頌歌の詩神』、『葦笛の詩神』に続く同じ著者による詩神シリーズ第四弾であり、イギリス十八世紀の詩のジャンルの系譜を体系化しようという著者の大計画の一角をなすものである。本書の目的は十八世紀バーレスク詩の潮流の見取り図を示すことであり、詩神シリーズの他のもの同様、点として存在している諸作を線で結び付けて全体像を浮かび上がらせる労作である。 本書の意義は細部にある。個々の作品についての分析を重視する著者の興味は、様々なテーマがどのように処理され加工されていくかということを綿密に追うことにあり、バーレスク詩全体の意義について述べることよりも、作品を分析し諸作品を関連付けることに力点が置かれているからである。ここからわかってくるのは、個々の詩が独立して存在するのではなく、大きな対話の流れの中にあるということである。例えば、よく知られたガースの『薬局』やポープの『髪の毛略奪』のような作品もバーレスク詩の伝統の中に位置付けられ、これらの詩は決して特異なものではなく、多くの同趣向の詩の一つであることが示される。 本書冒頭ではまず、バーレスク詩を分類した上で、ここで扱われる範囲が「パロディ」と「疑似英雄詩」(mock-heroic)であることが示される。疑似英雄詩とは、古代の叙事詩・英雄詩を模倣しつつ非英雄的な題材を扱う詩で、その面白さは、英雄的世界とはほど遠いところにあるごく身近なことを英雄詩的文体で描き、文体と内容の落差によってその卑近さを際立たせるという喜劇的効果にある。そこでは例えば『イリアス』や『アエネーイス』などを思わせる趣向があちこちに凝らされ、卑俗な事件と英雄的世界が対比される。日本でいうなら浮世絵などに見られる「見立て」の技法に近く、題材を塗り重ねることによって一定の教養を備えた人を楽しませることを目的としている点で相通ずるものがある。 本書はテーマ別に五部に分けられていて、第一部では十八世紀前半に流行した「戦闘詩」が取り上げられる。その出発点において血を流さないことを「名誉」とした時代の雰囲気に相応しく戦闘は矮小化され、小動物やピグミーのちまちました闘いが滑稽に描かれる。暴力を伴わない盤面上の戦いであるチェスをテーマとした詩もここに含められる。以下、第二部では茶、ワイン、リンゴ酒、料理のような嗜好品を扱った詩、「ファッション」と題された第三部では、ポープの『髪の毛略奪』を軸として、女性の服飾や装身具、例えば扇、ペチコート、スモック、付け黒子、舞踏会のドレスなどをテーマとした詩が取り上げられる。第四部「スポーツ」ではボウリング、フットボール、ゴルフ、格闘技を歌った詩が、第五部ではイギリス産叙事詩『妖精の女王』を模倣したバーレスク詩の諸相が論じられる。 取り上げられた詩の中には、こんなものが詩の題材になりうるのかと思わせるものもあって、驚きと興味は尽きない。扱われる主題の多様さからは、商業革命を経て貿易が爆発的に成長した結果、彩り豊かになった十八世紀英国民の生活がうかがえる。このような作風の流行は国内が落ち着いて市民文化が成熟し遊ぶ余裕が出てきたことと関係していると思われるが、ここにも、日本の「見立て」が江戸時代中期以降の浮世絵に多く現れたことと共通する背景がある。 本書読後におのずから起こってくる疑問は、この大量の詩の流行の奥にあるものはいったい何か、ということである。古代叙事詩の茶番化は古代的価値観の相対化でもあるが、そのことは必ずしも古代叙事詩の格下げを意味しない。叙事詩にこだわりパロディ化することが頻繁に行われたことは、古代的価値が近代においてもまだ有効性を失っておらず、少なくとも十八世紀においては照らし合わせるべき一つの価値基準として機能していたことの証でもある。 疑似英雄詩に見られるのは、叙事詩的事象を俗世間の事象に置き換えることによって、両者の橋渡しをおこない、相反するように見える価値を折り合わせ共存させる努力でもある。そこからは、自分たち近代人が生きる世界と古代の英雄詩的世界を結び付け対応させることで、空虚に見える近代の物質的世界を意味づけようという十八世紀詩人の試みが見えてくる。一見軽薄に見える近代の生活も、一見崇高に見える古代叙事詩的世界と本質においてはそう変わるところがなく、近代人の営みは古代人の営みに匹敵すると言わぬまでも、そこにもそれなりの深刻さと切実さがあるのだと暗に言っているかのようである。 日本語ではこの本でしか扱われていないような詩も多数取り上げられて詳説されており、本書が未開拓な地面をならしていく地道な作業の成果であることは明白である。本書は十八世紀のバーレスク詩研究の基盤を構築しえたという点で画期的な著作であり、十八世紀の詩を学ぶ者であれば、詩神シリーズの他の三冊とともに机の近くに置いて折々に参照すべき書であると言える。(にしやま・とおる=名城大学教授・英文学)★えびさわ・ゆたか=駿河台大学教授・英米・英語圏文学。著書に『田園の詩神 十八世紀英国の農耕詩を読む』『頌歌の詩神 英国十八世紀中葉のオードを読む』『葦笛の詩神 英国十八世紀の牧歌を読む』など。一九六一年生。