踏み出した一歩を継続する重要性 松永正訓/ 小児外科医・作家 週刊読書人2023年9月8日号 中村哲 思索と行動 「ペシャワール会報」現地活動報告集成[上]1983〜2001 著 者:中村哲 出版社:ペシャワール会(発行)/忘羊社(発売) ISBN13:978-4-907902-34-6 医師であれば、中村哲先生の名前を知らない人はいないだろう。いや、医師に限らず世間に広く名前を知られているはずだ。ただ、中村先生の実像に詳しい人はそう多くないのではないか。先生は、2019年に凶弾に倒れるまでアフガニスタンで医療活動と共に灌漑工事をしていた。なぜだろう。先生がパキスタン・アフガニスタンに赴いた目的な何だったのだろうか。私は、先生の「はじまり」を知りたくて本書を開いた。 パキスタンの北西部の古都ペシャワールに赴いたのが1984年。中村先生の活動は、日本のペシャワール会によって支え続けられている。先生がまず目指したのはハンセン病の治療であった。なぜこの病気なのか。ハンセン病は、キリストの時代から人々に恐怖を与え、偏見と差別を生む病気だった。日本はもとより、世界的にハンセン病患者は差別の対象となってきた。 パキスタンにも患者は多数いたが、パキスタンやアフガニスタンが抱える困難は、ハンセン病だけではない。また世界から見れば、当地では偏見も比較的強くないという。 この地域では、ソ連がアフガニスタンに侵攻したことで内戦が起き、数百万人の難民がパキスタンに入ってきていた。戦争・難民・貧困・宗教対立・政治の不安定、そして異常なまでに高い乳児死亡率。そうするとこの地でハンセン病の治療をすることは、大海の一滴の水をすくうようなものだ。しかしそれでも、差別を憎み、弱者の側に立つという意味でハンセン病医療にはシンボリックな意味がある。まず起点としてハンセン病に取り組み、暗闇に灯りをともそうとしたのだろう。 ハンセン病の治療は当然のことながら投薬ということになる。ただしそれは長期に継続することが必須である。すると、金や薬を与えて済む問題ではなくなる。いかにして患者にいい社会生活を保障するのかが重要になる。 先生は当地に赴任してさっそく「靴ワークショップ」を立ち上げる。ハンセン病の中で最も厄介なものの一つは足底穿孔症という合併症だ。神経の感覚が鈍ることで足の裏に潰瘍ができてしまうのである。こうなると日常生活がままならないのはもちろん、仕事もできなくなる。そこで靴である。足を守る靴を作ることで、患者の生活の質を守ろうと考えたのだ。つまり中村先生は、ペシャワールに赴任して比較的早い段階から、医療だけをやっていれば問題が解決するとは思っていなかったことがうかがい知れる。 ペシャワールから活動を北西部辺境州に広げ、国境を抜けてアフガニスタンに入り、山村無医地区に診療所を次々に作っていく。その姿には静かな迫力がある。大海の一滴は大きな波になっていく。 2000年、アフガニスタンの混乱はますますひどくなり、大旱魃が迫ってくる。このとき、先生がとった行動は井戸を掘り、用水路を拓くことだった。医療支援だけでは救えない命を目の前にし、社会支援の方向の舵を切ったのだ。まず一歩を踏み出す重要性、そしてそれを継続する重要性が大変よく分かる。 本書は中村先生が、日本に送った現地活動報告書のまとめである。医師として医療活動内容を細かく分析・報告している一方、現地で何を考え、どう行動に移しているのかが丁寧に書かれている。その精緻な文章には、まるでノンフィクション作家のルポルタージュのような深みがある。ときどき綴られる異国の自然の風景描写には詩情が溢れている。単なる報告集の域を超えていると言っていいだろう。 なお、個人的には、数億円かかる移植医療がある一方で、220円のキニーネでマラリアから助かる命が何万とあるという事実が胸に刺さった。命に軽重はないので、この矛盾に答えを出すのは難しい。 欧米の多数のNGO(非政府組織)や国連がまったく機能しなかったこの地で、ペシャワール会だけが現地からの信頼を得た。支援とはなんだろうかと根本的な再考を迫る作品だった。多くの人に読まれるべき1冊である。(まつなが・ただし=小児外科医・作家)★なかむら・てつ(一九四六-二〇一九)=医師。PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表。八六年よりパキスタンやアフガニスタンで医療支援を行う。著書に『ペシャワールにて』『ダラエ・ヌールへの道』『医者 井戸を掘る』『医は国境を越えて』『医者、用水路を拓く』『天、共に在り』『わたしは「セロ弾きのゴーシュ」』『希望の一滴』など。二〇一九年一二月四日、アフガニスタンのジャララバードで凶弾に倒れる。