運動の活気と彼女たちのことばの力 山田文 / 翻訳者 週刊読書人2023年9月8日号 リスペクト ─R・E・S・P・E・C・T 著 者:ブレイディみかこ 出版社:筑摩書房 ISBN13:978-4-480-81573-6 食べ物は食べるためにあり、ものは使うためにあって、家は生活を営むためにある。 あたりまえだ。だが、あたりまえをあたりまえでなくし、常識を非常識にするのがケイザイでありシステムである。金銭のために食料やものが大量につくられ、土地や家がしきりに売買される一方で、人は飢えて衣服にすらこと欠き、住む場所を追われる。株価や地価があがっても人間は貧しくなるばかりだ。金銭が目的になり、人間が手段になる。人間は主体性と尊厳を奪われてシステムの奴隷になる。 そんな世界とは別の社会のありかたがあるはずだ。あってもらわなければ困る。いまとはちがう生のありかた。それを垣間見せてくれるのが本書にほかならない。 「不動産業者と投資家はここをファッキン・ミドルクラスの街にしようとしている。区も住宅協会もその片棒をかついでる。ファック・ジェントリフィケーション!」 二〇一三年、ロンドン東部。緊縮による予算削減のあおりを受けて、ホームレスのシングルマザーたちがホステルから追い出されようとしていた。再開発に向けて高値での売却を待つ公営住宅には、大量の空室があるにもかかわらず。彼女たちはそんな理不尽な状況に対して声をあげ、住まいを求めて立ちあがる。本書はそれに材を取ったフィクションである。 「あたしはもう黙らない。あたしはもう黙らない。あたしはもう黙らない」「誰かが何かを始めないと、誰かが闘わないと、何も変わらないだろ」 退去勧告を受けた数人の若い女性がスーパーマーケットの前ではじめた運動は、助言者や協力者の助けも借りて注目を集め、やがて公営住宅の空き屋占拠(スクウォッティング)へと活動を広げる。そこは人が自由に出入りし、金銭を介さずに必要なものやサービスがやり取りされる場になる。行政や力をもつ者やオトコに頼らず、「自分たちの問題を自分たちで解決」するコミュニティ。「人間が本来持っている〝親切さ〟を発揮し合い、互いがお互いを生存させる扶助の在り方を」体現する場所。運動と生活が一体化した空間。それが世論を動かし、行政も動かす。 「こちとらマジなんだよ、おまえらふざけんな」 貧困は人間からものや住まいを奪うだけでない。自信、やる気、他者を信じる力も奪う。だから、「私たちはパンだけじゃなく 薔薇も欲しい」。「どうしてって……人間だからだろ。〔…〕生活保護を受けていようが、ホームレスだろうが、あたしらだって人間なんだ」 「親切さ」を土台に、人とのつながりのなかで能動的にニーズを満たしていくこと。それは生活の手段を確保すると同時に、人間としての尊厳、〝リスペクト〟を取り戻し、自信を獲得していくプロセスでもあった。それは人間の主体性を回復し、人間が目的となる生きかたを再建する試みでもある。 コンヴィヴィアリティ。渡辺京二は「自立共生」という訳語をあてるが、それに加えて祝祭的なにぎやかさと活力も想起させることば。本書の主人公たちが築いたコミュニティでは、「ほんとうにいまの世の中とは違う何かが起こり始めていた」。「システムとは違う何かが」。おそらくそれは、いまの非常識が常識になり、あたりまえのことがあたりまえにおこなわれるコンヴィヴィアルな共同体へと向かう何かだ。 マーガレット・サッチャーの国はウィリアム・モリスの国であり、サフラジェットとシルヴィア・パンクハーストの国だ。『諸国民の富』の著者は『道徳感情論』の著者だ。アナーキック・エンパシー。作者がさまざまな著作で論じてきたそれは、こんなふうに実践されうる。間口の広い小説という形式で、本書はそれを示してくれる。運動の活気と彼女たちのことばの力が存分に伝わる形式で。その空気には感染力がある。「一歩外に出るのって、すごく怖いけど、なんかワクワクするね」 この運動を見守り、やがて引きこまれていった日本人新聞記者の史奈子は言う。「ヤバい人になった気分は思いのほか清々しかった」。著者から日本人の読者に「ぶち投げられ」た本書に、真正面からぶち当たってほしい。そしてヤバい人になってほしい。それはワクワクして気持ちのいいことにちがいない。(やまた・ふみ=翻訳者)★ブレイディ・みかこ=ライター・コラムニスト。英国ブライトン在住。著書に『子どもたちの階級闘争』(新潮ドキュメント賞)『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(毎日出版文化賞特別賞、ノンフィクション本大賞ほか)『ワイルドサイドをほっつき歩け』など。一九六五年生。