ジェンダーの視点を踏まえて検討した力作 佐藤環 / 茨城大学教授・教育学 週刊読書人2023年9月8日号 高等学校と女性の近代 著 者:小山静子 出版社:勁草書房 ISBN13:978-4-326-65441-3 高等女学校は一八八二(明治一五)年にはじまり戦後の学制改革により一九四八(昭和二三)年に姿を消すまでの六六年間存在した女子の中等教育機関である。戦前期には女子が進学できる高等教育機関があまり存在していなかったため女性にとって事実上の完成教育機関としての意味を持つ存在であった。本書は、旧制中学校と高等女学校の対比、良妻賢母主義教育の検討、入学情況と卒業後の進学状況・就職状況をジェンダーの視点を踏まえて検討し、女性が学校教育を受けることの意味を考察した力作である。 まず一九二〇年代半ばに入学者数で中学校を上回るまでに普及した高等女学校と男子校である中学校との違いが確認されている。修業年限の違いであるが、中学校は五年制なのに対して高等女学校は四年を本則としたので修業年限が短く設定されていた。その後一九二〇年の高等女学校令改正により四年本則の縛りがなくなり公立五年制高等女学校が増加したものの、全高等女学校数に占める五年制の割合は三割を超えることはなかった。さらに地域差が大きく東京や大阪ではほとんど五年制となったものの、五年制が一校もない県は一六県にのぼった。設置主体の差異は、中学校の九五%以上が道庁府県立であったのに対して、高等女学校は時期により郡立、町村立、市立が公立校全体の二~五割を占めたために小規模校が多かった。教育内容については中学校ほど普通教育に徹してはおらず、かと言って裁縫や家事といった女子向けに重点化した教育でもない普通教育の枠内で女性というジェンダーに配慮して編成された。そして高等教育の接続については、男子に用意されていた旧制高等学校、専門学校、大学予科などの高等教育機関が女性にはほとんどなく、高等教育の代替として高等女学校に専攻科・高等科が付設された程度であった。 次に高等女学校の多様な側面が明らかになった。元々「中人」以上の男性にふさわしい女性として家庭内での役割を遂行する良妻賢母の育成を目的として創設されたのだが、「土地ノ情況」という言葉が頻用され地域性が強調された学校種であったことが多様性を生み出した。良妻賢母の養成という教育目標は同じでも、高等女学校はジェンダーに配慮した普通教育、実科高等女学校は裁縫技術向上という実用教育が行われていたので教育目標への見解の揺らぎが生じた。さらに市部と郡部という学校所在地の相違や、卒業生は将来俸給生活者の妻になるのか、農家の嫁になるのかという階層性が見えてくる。制度上は高等女学校として括られているが、学業指向の高い中学校のような普通教育に親和性を持つ都市部の道庁府県立五年制高等女学校、農村部の郡立、町村立四年制高等女学校、さらに高等小学校併置の実科高等女学校など多種多様であったことが指摘された。 そして本書が取り上げた卒業後の進路に関する新たな知見は重要である。高等女学校卒業後、高等教育機関へ進学する者と家で結婚準備を行う者とに別れたが、特に一九二〇年代以降、高等女学校数・卒業生数が増えたことで進学者や就労者数が増加していく。女子の高等教育を担ったのは、女子高等師範学校、師範学校二部や私立中心の女子専門学校であり、医師、薬剤師、初等中等教員という専門職に就いたほか、各種学校に進学して職業資格を取得するなど女性の社会進出が活発化していく。第一次大戦後から職業婦人として活躍する女性が目立ちはじめたけれども高等女学校卒業生の就職先の多くは事務員やタイピストなどであり、彼女たちの教育程度により職種の棲み分けと待遇差が生まれた。このことは高等女学校が良妻賢母の育成にとどまらない職業婦人の輩出という役割を担い、また女性にふさわしい職業への進出という新たなジェンダー秩序の形成が進展していくことを示すものである。(さとう・たまき=茨城大学教授・教育学) ★こやま・しずこ=京都大学名誉教授・教育学。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程認定退学。著書に『良妻賢母という規範』『家庭の生成と女性の国民化』など。一九五三年生。