原作と映像化作品の表現を対等な関係で理解する 秦美香子/ 花園大学文学部教授・マンガ研究・メディア研究 週刊読書人2023年9月15日号 ミステリ映像の最前線 原作と映像の交叉光線 著 者:千街晶之 出版社:書肆侃侃房 ISBN13:978-4-86385-582-3 本書は、映像化された二〇のミステリ作品について、原作の何が変更されたか、その意図はどこにあると考えられるか、原作以外のどんな作品が映像化に影響を及ぼしているか、といった点を考察したものである。最初に触れておきたいのは、本書は優れたミステリガイドだということだ。関連作品についての言及も充実しているので、評者も本書を読みながら次々と興味を惹かれ、いくつか本や映像を鑑賞してしまった。そのため本書を読みとおすのには結構な時間がかかったが、楽しいひと時であった。 とはいえ、本書の真の価値はガイドブックとしての側面よりも、アダプテーション(翻案)研究としての側面にある。リンダ・ハッチオン『アダプテーションの理論』(晃洋書房、二〇一二年)では、原作の何がどう解釈され語り直されるに至ったかといった翻案の過程に注目してこそ、翻案を(原作の劣化版としてではなく)翻案として見ることができると論じられている。本書が取り組むのは、まさにこの、映像化作品を原作と対等な関係にある表現として理解する試みである。 まず本書が浮かび上がらせるのは、原作が実はそれほど特権的な位置にはないことである。原作以外にも、同じ作品の先行する翻案、同時代/同ジャンルの書籍・映像、同じ作り手(演出家や脚本家、俳優)の過去作品などといった多様なテクストが「翻案元」の役割を果たしてきたことが、本書を読むとよくわかる。時には現実社会の出来事すら、翻案元テクストになりえる。つまり翻案は単なる原作のコピーというよりも、間テクスト的に新たな生命を与えられた作品なのである。 こうしたことは論点としてハッチオンも指摘しているものの、本書は作り手や様々な作品といった文脈がどのように翻案に関与しているかを具体的に明らかにしていくので、圧倒的な説得力を持っている。さらに、ハッチオンはあまり論じていなかったように思われる、先行する作品がいわば「反面」の原作として翻案に影響を及ぼす例も非常に興味深かった。たとえば、先行するミステリ映像の中で好まれている趣向やお約束にあえて逆らうような演出のことである。こうした工夫は、原作と翻案を単純に対照するだけでは絶対に発見できないところだ。 また、ミステリは「謎解き」が大きな楽しみとなる特異なジャンルであるが、読者(視聴者)の謎解き経験自体の翻案についても、本書では指摘されていた。途中までは原作あるいは既存の翻案と同じ展開を見せながら実は結末が異なっているなど、先行作品を知っている視聴者の目すらも欺くような例である。どんなに優れた映像化でも、犯人やトリックを知っている場合、原作を読んだときの謎解きの面白さ自体を翻案で味わうことは、通常できない。しかし、先行作品の知識自体がミスリードになり、「結末にあっと驚く経験」を翻案でも再度味わえるというのは、(それが先行作品を尊重しつつ行われたならば)まさにミステリ作品に新たな生命を与えた好例といえる。翻案のこうした一面が論じられたのは、ミステリの映像化に特化した本書ならではのことだ。 登場人物をめぐる議論にも触れておきたい。人物設定の変更や人物の追加・省略によって、トリックや物語の筋がより明快になる、映像作品としての見栄えが向上するといった翻案の効果は、気付きやすい。しかし登場人物の変更は、作り手の思惑や事情に起因するもの(俳優の売り込みのために登場人物を増やす、スターを配役することでその登場人物の重要性が自ずと上がってしまうなど)や、配役と内容の連関という狙い(俳優が過去に演じた役のイメージとあえて結び付けて演出したり、脇役の配役をあえて豪華にしたりすることでミスリードを図るなど)なども含むことがある。こうした要因が翻案に与えた影響を具体的に読み解くことで、登場人物・演じ手の側面からも翻案の間テクスト性に迫っていくところが、とても面白かった。 本書を読めば、ミステリの映像化を「原作通り」かどうかだけで評価するのがいかにつまらない行為かがよくわかる。そういう点でも本書はやはり、冒頭に述べた通り、秀逸なミステリガイドブックなのだ。(はた・みかこ=花園大学文学部教授・マンガ研究・メディア研究)★せんがい・あきゆき=ミステリ評論家。著書に『水面の星座 水底の宝石』『怪奇幻想ミステリ150選』『幻視者のリアル』『原作と映像の交叉光線』など。一九七〇年生。