複雑なリビア情勢を解き明かす試み 小林周 / 日本エネルギー経済研究所中東研究センター・主任研究員 週刊読書人2023年9月15日号 アラブの冬 リビア内戦の余波 著 者:多谷千香子 出版社:法政大学出版局 ISBN13:978-4-588-62547-3 評者は二〇二一年四月から二〇二三年四月にかけて、在リビア日本国大使館に勤務し、同国の政治情勢を間近で観察してきた。リビアでは二〇二一年一二月に予定されていた大統領・議会選挙が延期され、その後に暫定政府と対立する議会が新たな政府と首相を任命、「一つの国に二つの政府、二人の首相」が併存する事態となった。日本ではあまり報じられないものの、リビアの不安定化は地中海を越えて欧州を目指す移民・難民の問題、テロ組織や反政府武装勢力の活動、世界の石油市場に与える影響などから、国際社会における大きな関心事である。 しかし、リビア情勢は内政と国際・地域情勢が複雑に絡み合い、今起きている出来事の要因や背景を理解することが極めて困難である。これは研究者だけでなく、外交官や国連職員、学生、ビジネスパーソンも共通して抱える悩みである。そして、リビア情勢を解説した日本語の書籍や報道は極めて少ないのが実情である。 本書は、多谷千香子(法政大学名誉教授)が、複雑なリビア情勢の背景や構造、主要なアクター、周辺国への影響などを解き明かすことを試みた一冊である。二〇一一年の内戦とカダフィ政権崩壊(著者はこれを「第一次内戦」と呼ぶ)、政変後のイスラミスト(イスラームに基づいた国家建設を目指す者)の台頭、リビア東・南部を実効支配するハフタル司令官の台頭と首都トリポリの暫定政府との戦い(「第二次内戦」)を軸に、内戦に介入する諸外国の思惑、リビア経済の根幹である石油をめぐる動向、二つの内戦が「イスラーム国(IS)」を含む過激派組織やサヘル諸国の混乱に与えた余波について、二〇章に分けて論じている。 著者は、本書の執筆のきっかけを、オバマ元米大統領の「リビア介入(における計画性のなさ)は大統領在任中最大の失敗だ」というコメントだと語っている。国際社会(特に欧米諸国)はリビア情勢に対する正確な理解や展望を欠いたまま二〇一一年に軍事介入を行い、カダフィ政権を打倒した。そのことが、今日のリビアの混沌につながっているという著者の指摘は鋭い。内戦以降に台頭したイスラミストや民兵組織は、現在に至るまで、国家建設や治安維持を大きく妨げている。また、著者は深い国際経験を持つ法学者・司法実務家として、国連や国際刑事裁判所(ICC)の透明性や公平性の欠如を批判している。 本書のタイトル「アラブの冬」とは、二〇一一年に中東・北アフリカ諸国で起きた反政府・民主化運動「アラブの春」にかかっており、当時現地の人々や国際社会が期待した民主化や政治的自由、経済改革、汚職の撤廃といった「革命の成果」は実現せず、むしろ政治・治安の混乱や経済問題の悪化につながった――「アラブの春」が挫折した、という意味が込められているという。カダフィという独裁者が滅んだ後、政治・治安・経済が大きく混乱し、その混乱が周辺地域に波及したリビアは、「アラブの冬」の典型的な事例だと言えるだろう。「(リビアが)近い将来、社会的安定を取り戻し国家再建に向かうことは期待できない」という指摘は重い。 本書評の執筆時点(二〇二三年八月)で、リビアの政治情勢は収束せず、選挙は事実上無期限延期となっている。全国規模での内戦のリスクは低下しているとされるが、国内にはハフタル司令官をはじめ様々な民兵・軍事組織が活動し、国家の統一を妨げている。ウクライナ戦争によって北アフリカ諸国の食糧事情は逼迫しているだけでなく、リビアは露民間軍事会社ワグネルがアフリカ諸国に展開する上でのハブになっている。リビアの南東に位置するスーダンでは武力衝突が収まる気配はなく、七月下旬には南西の隣国ニジェールで軍事クーデターが勃発、地域全体で不安定化が連鎖している。本書を通じてリビア内戦とその余波について理解することは、目まぐるしく動く中東・アフリカ情勢、さらに国際情勢を見通す上で、大きな意義があるだろう。(こばやし・あまね=日本エネルギー経済研究所中東研究センター・主任研究員)★たや・ちかこ=法政大学名誉教授・国際刑事法。著書に『アフガン・テロ戦争の研究』『戦争犯罪と法』『民族浄化を裁く』『ODAと人間の安全保障』など。一九四六年生。