書評キャンパス―大学生がススメる本― 米倉伸哉 / 立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻修士課程2年 週刊読書人2023年9月22日号 韓国文学の中心にあるもの 著 者:斎藤真理子 出版社:イースト・プレス ISBN13:978-4-7816-2093-0 2010年代以降、韓国文学の邦訳刊行の勢いはとどまることを知らない。本書は、本邦きっての韓国文学翻訳家である斎藤真理子氏による初の単著であり、日本の人々に差し出された韓国文学への手引き書である――と、本書に対してひとまずの説明を与えることができる。一方で、このような紹介が、筆者が本書につよく惹かれた、決定的ななにかを語り落としていることも、確かな感覚として残ってしまう。 本書は、韓国の文学作品を網羅的に扱うことを意図してはいない。韓国語による詩の実作者でもある著者は、自身が翻訳に携わった、あるいは若き日に耽読した数々の書物を、手に取りページを繰るようにして、その魅力を指し示している。そうしたごく私的な案内に導かれながら、読者は海峡をわたり時代を越えることができる。 『82年生まれ、キム・ジヨン』とフェミニズム・ムーブメント、光州事件犠牲者たちの記憶、朝鮮戦争下を生きた人々の痕跡……一般的な文学書が、〈起源〉から〈現在時〉への流れにそってあらましを語るのとは反対に、斎藤は、2010年代後半を起点として、1945年の「解放」へと時を巻き戻すように本書を紡いでいる。文学と社会の交差路を指し示そうとする本書にとって、現代社会によりアクチュアルな事柄から語りはじめることは、必須の戦略であっただろう。そして、そのような遡行的な書き方によって、韓国文学の〝中心〟を解き明かすことを旨として書かれながら、本書は「韓国文学」という枠組みが掬いとることのできない小説や詩に、私たちの眼を向けさせるのだ。 それは具体的には、朝鮮戦争時、次々に支配者が入れ替わるソウルで書かれた文学であり、日本による植民地支配が終わり、半島が二分されるまでの「解放空間」に書かれた文学のことだ。一例を挙げれば、斎藤が本書の第8章で取り上げる蔡萬植「民族の罪人」は、解放空間で真っ先に問題化された、親日行為への贖罪を問う物語として紹介されている。私たちが「韓国文学」ということばで一括りにしている作品の背景には、異なる時代や地域、ことばを通して文学に向き合った人々の経験が折り重ねられている――「韓国文学への手引き書」という説明では、こと足りないように感じられるのは、本書が「韓国文学」を所与のものとして受け容れてはいないからだろう。 朝鮮のことばを学び文学を知ることが訝しまれた時代に、著者は自己形成を果たした。当時、斎藤に類する人々がどのような想いでハングルを学び、軍事政権下にある隣国の文学作品を手にとっていたか。筆者には容易に想像することができない。 当時と比較すれば、私たちは格段にたやすく隣国のことばや文物にアクセスすることができるようになった。だがそれは、単に〈他者〉の物語を享受することになってはいないか。同時代の文化現象がどのような歴史を背負っているか、そのなかで人々はいかに生き延びてきたか……そこに眼を向ければ、〈他者〉の歴史であったものも、自身の引き受けるべき歴史の一部となる。それは痛みを伴うだろう。けれど、痛みを伴いながらも出会うべき者がいる喜びを、本書は私たちと分かち持とうとしている。★よねくら・しんや=立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻修士課程2年。二日目より初日のカレーの方が好き。