男らしさはヒゲを通してどのように書き換えられてきたのか? 十枝内康隆/ 北海道教育大学教授・イギリス文学・ファッション/ダンディズム研究 週刊読書人2023年9月22日号 ヒゲの文化史 男性性/男らしさのシンボルはいかにして生まれたか 著 者:クリストファー・オールドストーン=ムーア 出版社:ミネルヴァ書房 ISBN13:978-4-623-09438-7 体毛のなかでもヒゲは男性に特有のものとされて来た。それは特に目立つものでもあり、また、のばすことも剃ることも自在である。ただ、歴史をざっと眺めてみると、ヒゲの有無は断続的で不規則な社会現象のように思われる。ならば、ヒゲを生やすのか、それとも剃るのかという選択は単なる流行の問題なのであろうか。 クリストファー・オールドストーン=ムーアはヒゲを流行の問題として片付けようとする議論を一蹴する。だが、生物学的、心理学的にヒゲの意味を解明しようとする試みも必ずしも成功してこなかった。そこで選ばれるのがヒゲをめぐるジェンダー史的研究である。ヒゲの有無は男性性の定義と再定義に関わり、ヒゲによって表現されかつ形成される男らしさは時代によって異なる。また同じ時代においてさえ、多様な男らしさが共存しうる。男らしさはつねに書換えられるものなのであり、ヒゲはジェンダー・ポリティクスの問題なのである。 ヒゲはときに歴史の表舞台に立ち、ときにそこから追いやられてきた。ヒゲを剃ることもヒゲを生やすことと同じくらい男らしさの構築に関与するものであるが、ヒゲは消えるよりも復活するほうが難しい。オールドストーン=ムーアは歴史上に四回の大きなヒゲ復興運動を見出す。そのなかでもとりわけ影響が大きかったのは、二世紀のストア派ローマ皇帝によるものと、一六世紀のルネサンス、一九世紀末のヨーロッパとアメリカに起こった運動の三つである。 ハドリアヌスとユリアヌスというふたりのローマ皇帝は、アレキサンドロス大王以来四○○年続いたつややかに剃られた肌を放棄して、ヒゲを復活させた。アレキサンドロスは古代の英雄や神々のような永遠の若さを得ようとしたのであるが、禁欲的なストア派の哲学を信奉していたローマ皇帝ハドリアヌスは世俗の王として無為自然の姿を求めたのであった。 中世は聖と俗、すなわちカトリック教会のヒゲを剃った顔と、大陸諸侯のヒゲを生やした顔が覇権を争っていた時代であるが、一六世紀のルネサンス人は世俗的な男らしさを復活させてヒゲを生やした。これを先導したのはヘンリー八世とフランソワ一世というふたりの王であった。 最後は一九世紀のアメリカとヨーロッパである。絶対主義の世紀におけるつややかな肌とカツラときらびやかな服装の時代を経て、一九世紀の後半にいたってヒゲが再び姿を現す。ヒゲは男性的な健康と道徳、そして女性に対するジェンダー優位性を保証するものとなるのである。ことに一八五○年前後における女性運動の出現と時を同じくして、旧来のジェンダー秩序の弱体化が迫っていることに脅威を覚えた男性は、自然のおもむくままにヒゲを生やすことで揺るがされつつある家父長制を維持しようと試みた。 現在までのところこれが最後のヒゲ運動であった。二○世紀と前後するあたりから事態はかなり複雑になる。軍隊は口ヒゲをシンボル化する。運動選手は男らしさを誇示するものとしてヒゲを利用していたが、それに代わって若々しく剃られた肌と筋肉が台頭してくる。医学や生物学の進歩によって、ヒゲが健康なものなのかどうかについて疑問が呈される。独裁者は口ヒゲを生やし、アメリカ大統領の顔からヒゲが消える。ロック・ミュージシャンは長髪とヒゲをトレードマークとし、ヒゲにふちどられたチェ・ゲバラの肖像写真はいまも世界中でゲリラ活動を続けている。現代は男性性をめぐる変幻自在のバトルフィールドであって、ようするに男性性を表現し形成する定式が多様化したのである。 二一世紀、とりわけ原著が出版された二○一○年代には、世界的にヒゲが復活してきたというが、それが一時的なものなのかどうかについてはまだ判断がつかない。ただ、それは現代における男性のアイデンティティ形成やホモソーシャルな連帯感の形成に引き続き大きな役割を担っている。 本書はヒゲをめぐる誤った伝説を正すことにも寄与している。古代の歴史家が伝えるアレキサンドロス大王が敵に摑まれないようにヒゲを剃ったとか、ハドリアヌス帝が顔の傷を隠すためにヒゲを生やしたという説は否定される。また、権威者による歴史修正にも厳しく対処している。中世のローマ・カトリック教会は教会法を改竄してまでもヒゲを排斥しようとした。歴史修正主義は権威ある男性に都合のよい言説を作り上げようとする。 原題の『ヒゲと男たちについて (Of Beards and Men)』を『ヒゲの文化史』と訳したのは当を得ている。この本はヒゲの通史となっているからである。もちろん、目次や索引からスタートして興味あるページを適宜ひろい読みしてもいい。長めの節には訳者が小見出しをつけてくれているので、それも便利である。ただ、通読したほうがヒゲの政治学をめぐる議論をたどりやすいかもしれない。とはいえ、もし試しに読んでみる章を選ぶというのであれば、古代と中世のはざまに間奏のように置かれたイエスをめぐる第四章がおもしろい。私たちはヒゲを生やした歴史的人物として容易にイエスの名をあげ、顔を思い浮かべるのであるが、ヒゲを生やしたイエスは本人に似せた肖像画ではなくて文化的に構築されたイコンなのである。 ルネサンスと一九世紀後半のふたつの時代において、それぞれマグダレナ・ベンチュラとジョゼフィーヌ・クロフリアというふたりのヒゲを生やした女性が注目を浴びるというのも興味深い。ふたりとも当時の支配的なジェンダー規範を揺るがす存在として警戒されていた。ヒゲの歴史は男性の歴史であると同時に、男性がいかにしてジェンダー優位を保とうとしてきたかの歴史でもあり、その戦略が明らかになった現代は、それに対する抵抗とバックラッシュの時代であるとも言えよう。(渡邊昭子・小野綾香訳)(としない・やすたか=北海道教育大学教授・イギリス文学・ファッション/ダンディズム研究)★クリストファー・オールドストーン=ムーア=米ライト州立大学教授・シカゴ大学博士・歴史学者。著書にHugh Price Hughesなど。