歴史資料を駆使しながら実態に迫る 松岡昌和 / 大月短期大学経済科助教・東南アジア史・歴史教育 週刊読書人2023年9月22日号 ラジオと戦争 放送人たちの「報国」 著 者:大森淳郎・NHK放送文化研究所 出版社:NHK出版 ISBN13:978-4-14-081940-1 戦時下のラジオは、どんな目的のために、どのような番組をつくり、それがどのように戦時体制のなかで動員されていったのか。また、番組のつくり手はどのように積極的にそこに加担していったのか。その実態に、関係者へのインタビュー、残された手記、当時の放送研究雑誌など、さまざまな歴史資料を駆使しながら迫った一冊である。メディアによるプロパガンダが、日本社会を戦争へと導いていったとしばしば指摘される。本書はそんな日本の戦時下プロパガンダについて、ミクロなレベルから明らかにしようとしたものである。 戦時下日本のプロパガンダについては、ひとつの神話がある。日本のプロパガンダは成功していなかったというものだ。しかし、近年の戦争動員に関するさまざまな研究は、そうしたイメージをくつがえしてきた。日本のプロパガンダが脆弱であったということもまた、戦後につくりあげられたひとつのプロパガンダにすぎない。ケンブリッジ大学の日本史研究者バラク・クシュナーは、主著『思想戦』において、戦時下日本のプロパガンダがドイツなどに比べても強力であったと論じている。満洲事変以降一五年にわたり、独裁者不在のなかで目立った国内反乱もなく戦争を継続できたことがその証左である。戦時下日本のプロパガンダは、前線と銃後を一体化させることを目的とし、人々の日常生活へと入り込んでいったのだ。 では、戦時下でラジオ番組を制作していた人々はどのような姿勢でそれに臨んでいたのか。軍や政府の命令でしぶしぶ戦意高揚のための番組を制作していたのか、あるいは、積極的にプロパガンダに加担していたのか。著者は、慎重に判断を留保する書きぶりをしばしば見せるが(著者が本書の登場人物と同じ番組制作という仕事に携わっていたことによるものであろう)、答えとしては後者に傾いていると感じる。このような単純化した分類は、適当ではないかもしれない。戦時下のラジオ放送に関わった人々すべてが、必ずしも戦意高揚や軍の礼賛を目的として仕事をしていた訳ではない。しかし、かれらが放送人としてもっていた職業意識が、戦時という非常事態のなかで動員されていった。より良い放送とはなにか、といったことを追求しながらラジオ放送にあたることは、放送人として広く共有される意識であろう。それが戦意高揚を煽る放送へとつながったのである。 ニュース原稿を編集していた日本放送協会報道部員たちは、ニュースソースである同盟通信社(一九三六年に発足した国策通信社で、当時日本放送協会は独自取材を行わず、同盟の記事を編集して放送していた)の記事よりも、より国策的効果が上がるように創意工夫を行った。戦争の記録録音をおこない、録音放送を制作したスタッフたちは、予定調和ではない、完成度の高いドキュメンタリーとも言える優れた番組を生み出し、前線と銃後をつないだ。教養番組をつくりだしたインテリたちは、進歩主義的な教育思想の影響なども受けつつ、学校放送を創設し、理論化した。慰安放送を担った文芸課長は、流行をつくり出すメディアの力を活かして、「国民歌謡」や「ラジオ体操」など健全な娯楽を国民に提供した。アナウンサーたちは、より良いアナウンス法を模索するなかで、抑揚が効いた「雄叫び調」のアナウンスを準備した。かれらの多くに共通しているのは、大衆を「指導」すべきであるという職業意識である。そうした発想は、聴取者の意識を調査しつつ「指導精神の確立」に向けて放送に介入していった逓信省官僚とも共有されたものである。戦時下の放送は、自らの職務に責任をもち、誠実にその勤めを果たすという、日常の道徳規範に基づく放送人の工夫や努力を動員していくことで、プロパガンダ装置として機能した。 ラジオは、敗戦という状況のなかでも、時代の要請に応えるべく、その役割を果たしていく。クシュナーは「日本国家の目的は戦後に変更したが、そのような決定に影響力を及ぼすメカニズムはそのままであった」と論じている。敗戦に向かっていく過程や、占領期におけるラジオ放送についての本書の記述からは、まさに持続するプロパガンダの様相が見えてくる。 一点、気になる点を指摘したい。著者もまた本書で登場する多くの放送人と同様に番組制作に長く携わってきた立場である。本書では折に触れて、著者が自らの立場を戦時下の放送人に重ねた上で同情的な心情を吐露したり、他方で違和感を率直に表明したりしている。こうした叙述には、客観的な歴史叙述を求める立場からの批判もあろう。歴史を記述するものは、みずからの立場性の表明に禁欲的であるべし、として。しかし、それは一方で現代の放送人が戦時期を取材していった先にたどり着いた歴史認識を示している。その語りもまた、一つのメディアの現代史にかかわるテクストとして大きな意味を持つだろう。 本書はNHK放送文化研究所や放送博物館所蔵の資料を多く使用している。これらが所蔵する戦時下の資料は、カタログ化されていないものも多く、未だ研究者に利用されていないものも少なくない。クシュナーは、戦時下日本のプロパガンダに関する研究の層の薄さを指摘するが、本書は、まさにその欠落を埋めるものである。本書をきっかけとして、戦時下日本の放送に関する研究がさらに進んでいくことを願ってやまない。(まつおか・まさかず=大月短期大学経済科助教・東南アジア史・歴史教育)★おおもり・じゅんろう=一九八二年にNHKに入局。富山、東京、広島、福岡、仙台の各放送局に勤務。ディレクターとして主にETV特集を手掛ける。作品にETV特集「モリチョウさんを探して」「祖父の戦場を知る」など。二〇一六年からNHK放送文化研究所に研究員として勤務し、二〇二二年に退職。共著に『BC級戦犯 獄窓からの声』『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』など。一九五七年生。