異なる個性と音楽観、かれらが生きた北海道、日本 竹内直 / 京都市立芸術大学非常勤講師・音楽学 週刊読書人2023年9月22日号 北の前奏曲 早坂文雄と伊福部昭の青春 著 者:西村雄一郎 出版社:音楽之友社 ISBN13:978-4-276-21607-5 早坂文雄と伊福部昭、この二人は同じ大正三年(一九一四年)に生まれ、ともに北海道で育ち、同じ時期に作曲家になることを志した。また二人は親しい友でもあった。かれらは日本の、とくに戦前の民族派を代表する作曲家と位置づけられることが多く、それぞれ《左方の舞と右方の舞》や《日本狂詩曲》といった代表作がある。また早坂には『七人の侍』や『羅生門』、伊福部には『ゴジラ』といった代名詞となりうるような作品があるように、日本の映画音楽史においても重要な存在である。 本書は早坂文雄の前半生、すなわち彼が三歳から二五歳までを過ごした北海道時代を中心に扱った伝記である。もとになったのは、一九九九年から『グラモフォン・ジャパン』誌上の「早坂文雄、映画音楽に死す」という題の連載である。この連載は早坂文雄の伝記として始まり、二〇〇一年の雑誌休刊により中断を余儀なくされるまで続いた。その後、早坂の四一年の生涯に彼と関わりの深かった黒澤明の半生を書き加え、交互に描き出す形にまとめられたのが、二〇〇五年に筑摩書房から出版された『黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』である。最初の連載からおよそ四半世紀の時を経て今年刊行された本書は、三部構成をとる前著の第1部から早坂に関するエピソードを中心に抜き出して再構成されたものである。 全体は「楽章」と名付けられた四つの章と、その前後に序曲、終曲と題されたプロローグ、エピローグを置く六部構成をとり、二人の出会いから、北海道での音楽活動、そして東宝入社を契機に早坂が東京へと旅立つまでを描く。当然、再構成によるエピソードの順番や表現の変化はある。前著では黒澤と早坂の人生を、著者の言葉を借りれば「映画のフィードバックのように」視点を切り替えながら記述するスタイルがとられていたが、本書ではあくまでも早坂の記述に重心はあり、伊福部のエピソードはときおり早坂と対照されるように配されている。 本書の記述に厚みを与えているのは、早坂の周辺にいた伊福部以外の多彩な人々の存在である。のちに音楽評論家となり、自身を作曲の道に引き摺り込んだ張本人として伊福部に「メフィストフェレス」(本書ではなぜか「メフィストテレス」となっているが)と綽名された三浦淳史、早坂を見出し、武満徹の師ともなった清瀬保二、戦後の日本映画史・音楽史に残る作品を協働することになる黒澤明らの言説も面白いが、とくに早坂の青年期を知る北海道時代の友人たちの証言の数々は、前川公美夫の『北海道音楽史』(一九九二)などにすでに同様の記述があるとはいえ、貴重だ。早坂と伊福部を巡るさまざまな言説は、かれらが生きた時代の北海道や日本の状況を克明に伝えてくれるものでもある。それらが互いに重なり合い、絡み合うことで、早坂の前半生が立体的に浮かび上がってくるのが本書の特色ともなっている。 北海道時代の早坂と伊福部の活動で特筆すべきは、三浦淳史らと一緒に「新音楽連盟」を結成し、昭和九年(一九三四年)に「国際現代音楽祭」を開催したことである。出会った頃の早坂と伊福部には共通の関心があった。それはどちらもドビュッシー、ラヴェル、ファリャやストラヴィンスキーといった二〇世紀初頭の西洋音楽(つまり当時の現代音楽)に強く惹かれていたということである。この音楽祭では当時の最も先鋭的な音楽が取り上げられ、早坂と伊福部も演奏者としてそれぞれピアノとヴァイオリンを弾き、その中には日本初演も含まれている。彼らが演奏したストラヴィンスキー、ファリャ、シュルホフらの曲と並んでエリック・サティの《三つのグノシエンヌ》や《右と左に見えるもの(眼鏡なしに)》が取り上げられているのは目を引く。この当時、東京音楽学校を中心としたアカデミックな音楽教育の場では、一九世紀までのドイツ音楽が支配的で、昭和五年(一九三〇年)に清瀬保二、松平頼則、箕作秋吉ら若い作曲家が中心となって発足した新興作曲家連盟は、そうした状況を組織として変えていく一つのきっかけとはなったものの、二〇世紀初頭の欧米の音楽に範を求めた創作というのは、まだまだ主流ではなかった。そうした時代に早坂、伊福部らによって行われた音楽祭は、日本の音楽史のみならず文化史的に見ても興味深い。 共通項も少なくない早坂と伊福部だが、その作風や音楽観はけっして同質ではない。例えば、どちらも汎東洋的・アジア的な音楽観をもち、旋法的な音楽語法を用いたが、早坂は装飾的に細かく揺れ動く半音階的な旋律や一本の線の重なり合いから生まれる響きを好んだ。他方、伊福部の音楽ははっきりとした輪郭をもつ全音階的な旋律やモティーフの執拗な反復などに特色がある。一九五〇年代に東洋的な抽象性、無限性、非合理性といった要素を形而上的な世界に昇華させた現代音楽を目指したいと述べた早坂と一九五一年の著書『音楽入門』の中で「音楽は思想で作るものではなく音で作るものだ」と表明した伊福部とでは、立脚する音楽観がそもそも異なるのだ。若い頃はそこまで明瞭ではなかったかもしれないが、やがて両者の性質や音楽観のずれはより明確になっていく。だがそのことは、早坂と伊福部がまったく違った個性であることの証でもある。育った環境や経済状態、作曲コンクールでの結果、やり取りから伺える両者のちょっとした音楽観の違いなど、ときおり早坂に対照されるように挟み込まれる伊福部のエピソードを通して、本書はそのことを巧妙に語っている。(たけうち・なお=京都市立芸術大学非常勤講師・音楽学)★にしむら・ゆういちろう=ノンフィクション作家・映画評論家・音楽評論家。著書に『輝け!キネマ 巨匠と名優はかくして燃えた』『シネマ・ミーツ・クラシック』『巨匠たちの映画術』など。一九五一年生。