書評キャンパス―大学生がススメる本― 坂井春香 / 二松学舎大学文学部国文学科2年 週刊読書人2023年9月29日号 夜は短し歩けよ乙女 著 者:森見登美彦 出版社:KADOKAWA ISBN13:978-4-04-387802-4 本書に出会ったのは、コロナ禍のときだった。外出もままならない中で、この本は筆者を京都へといざなってくれた。それもただの京都ではない。摩訶不思議で奇想天外、現実とファンタジーが入り混じった京都である。 「先輩」は大学の後輩である「黒髪の乙女」に想いを寄せている。想い人ができたとき、一般的にはどのようにアプローチするだろうか? 連絡先を交換するだとか、食事に誘うなどが、常套だろう。先輩がとった方法はかなり違う。それは「ナカメ作戦」である。一体どういう作戦なのか、作戦名を聞いただけではわからないが、これは「なるべく彼女の目にとまる作戦」を略したものである。 ストーカーと言われてもおかしくないこの作戦に対して、黒髪の乙女は「奇遇ですねえ!」と返すばかりで、先輩の意図には全く気づかない。黒髪の乙女は先輩の想いなんてつゆ知らず、好奇心の赴くままに京都の街を歩き続ける。乙女の向かう先は春の木屋町先斗町、夏の下鴨神社の古本市、秋の学園祭、そして冬の風邪の神が跋扈する街、と多種多様だ。読者も先輩と共に、乙女の足取りを追っているような気持ちになる。 この物語では、先輩と乙女それぞれの視点が、交互に入れ替わって展開されていくのだが、その語り口が、小気味よい近代文学のような文体なのだ。 「私は炊飯器よりも面白みに欠ける無粋者なのです」というのは、乙女の自己評価である。たとえとして炊飯器が出されることにより、乙女の独自の感性が光っている。「もはや私は彼女の後ろ姿に関する世界的権威といわれる男だ」、これは乙女の背中を追いすぎて、すぐに判別できるようになってしまった先輩の言葉である。面食らうくらい独特な表現にあふれているが、読み進めていくうちに病みつきになることはうけあいだ。 ここまで書くと、不思議でポップなだけの恋愛小説のように思えてしまうかもしれない。しかし「ナカメ作戦」と称して乙女を追い続ける先輩の現状は、ちっともポップなんかではない。 「入学以来決して上がらず、今後上がる見込みもまるでない学業成績。大学院へ進むという逃げ口上を高々と掲げて、先送りしただけの就職活動」というのが、大学三回生の先輩の現状である。いつまでも外堀を埋めるばかりで、肝心の本人に直接に想いを伝えることが出来ず、ついには冬の万年床で「ひとりある身はなんとせう!」と悲痛にも叫ぶのである。 このような先輩の様子を読んで、ただの阿呆学生だと笑うことが出来るだろうか? 筆者も先輩のように臆病になって、一歩踏み出すことを恐れていないだろうか?と、ふわふわした世界観の中に、突然現実が襲ってきて、身につまされるのだ。 こうしてこの書評を読んでくださったのも何かの御縁。最終的に先輩がどのような選択をするのかは、ぜひ読んで確かめてほしい。本を片手に先輩よろしく、乙女の背中を追って京都の街を練り歩くのも一興だ。★さかい・はるか=二松学舎大学文学部国文学科2年。最近は四谷怪談を元にした朗読劇を観劇したことがきっかけで江戸時代の怪談について調べている。