ミステリ史から見る社会と女性 橋本輝幸/ SF研究家・書評家 週刊読書人2023年9月29日号 アフター・アガサ・クリスティー 犯罪小説を書き継ぐ女性作家たち 著 者:サリー・クライン 出版社:左右社 ISBN13:978-4-86528-379-2 本書はイギリスの文学者、伝記・小説作家サリー・クラインの遺作である。題名のとおり、女性作家が書いた犯罪小説に焦点を当てた本だ。 犯罪小説は、本書によればイギリスで一般小説を上回ってもっとも人気のあるジャンルで、全書籍の売り上げの三分の一を占めるという。そして読者の八割は女性だそうだ。二〇一〇年代以降はドメスティック・ノワールと呼ばれる、家庭や職場といった日常生活の場を舞台にした犯罪小説も英米で好評を博している。 本書は英語圏の女性犯罪小説家やその作品を紹介している。これから読む人のためにいくつか注意を挙げると、まず女性犯罪小説家の潮流を体系的に論じた本ではない。中盤以降は、英語圏の女性犯罪小説家たちのインタビューから多数の発言が引用されるが、設問、実施期間、人数、どういう人がインタビューされたかなどの全容は不明である。また、本書の範疇がミステリではなく犯罪小説なのも念頭に置くべきで、登場する現代作家はもっぱらハードボイルドやノワール、警察小説を書く人たちだ。 さて本書の前半では、二〇世紀初頭にイギリスで活躍し、今なお読まれ続けている黄金期の女性推理小説家たちの作品と生涯がアガサ・クリスティーを中心に紹介される。中盤以降では現代の犯罪小説における女性主人公の表象とその変遷が書かれる。ここが本書の読みどころだ。第五章から七章にかけては私立探偵や警察官の主人公たちとそのキャラクター造形が紹介され、現実の女性の労働や社会参加の反映や、現実が理想とは程遠いがゆえにフィクションに託された願いを感じられる。レズビアンの主人公たちが次々と紹介される第八章「レズビアンの主人公登場」も充実しており、熱意を感じるパートだ。第九章「黒人、身体障がい者、見える存在、見えない存在」では、日系アメリカ人作家ナオミ・ヒラハラが、犯罪小説の読者層が高齢者や白人に偏っているため、より若く多様な読者や作者を集めるのが難しいと語る。黒人作家レイチェル・ハウゼル・ホールも、年配の白人女性が購買層の大部分を占めるこのジャンルで読者を獲得するのは至難の業だと述べている。他の章では同性愛者のキャラクターや、白人と黒人の異人種間恋愛の描写に読者からクレームが寄せられる件も言及されている。筆名によって女性であることやアジア系であることを隠していた作家も存在する。作家の自由はマーケットの需要にしばしば制限されているのだ。このように著者は一貫して女性の前に立ちふさがる困難に関心を向けている。 本書は課題や歴史的経緯を紹介する意欲的な本だが、著者の関心をもとに構成されている印象は否めない。たとえば著者は冒頭で、女性が犯罪小説に惹かれるのは子供のころから暴力の脅威にさらされ続ける女性特有の経験に由来すると述べている。一方で、愛好の理由に一種の暴力嗜好や覗き見趣味がある可能性は、第二章で作家フランシス・ファイフィールドの言葉でわずかに紹介される程度だ。女性の悪役にもあまり言及されない。はたして善き女性や被害者の女性以外の女性像の表現が世にあふれ、章を形成できるまでにはまだ時間が必要なのだろうか。個人的に気がかりな点だった。 第十一章「キラー・ウィメン、ドメスティック・ノワール、女性に対する暴力」の話題のひとつは英国での近年の団体活動だ。〈キラー・ウィメン〉は女性作家たちが二〇一五年に結成した団体で、メンバーとメンバー以外の作家の活動支援を目的にしている。二〇一八年には「スタンチ賞」という女性が暴力を受ける描写がないスリラーに特化した賞が設立され、賛否両論がまきおこったそうだ。試行錯誤が続く様子は頼もしく、英国シーンの現況を知る貴重な機会でもある。日本とは異なる環境とトレンドでいかに現代ミステリが続いているか、その一端をうかがえる意義ある章であるし、今後への期待を感じさせてくれる。(服部理佳訳)(はしもと・てるゆき=SF研究家・書評家)★サリー・クライン(一九三八-二〇二二)=イギリスの文学者・伝記/小説作家。ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツやアングリア・ラスキン大学に所属し、ケンブリッジ大学で教鞭をとった。本書を含め一二冊のノンフィクションと二冊のフィクションを執筆した。本書が最後の著書となった。