この戦争を冷静に見つめ直すために 澤田直 / 立教大学教授・フランス文学・思想 週刊読書人2023年9月29日号 戦争から戦争へ ウクライナ戦争を終わらせるための必須基礎知識 著 者:エドガール・モラン 出版社:人文書院 ISBN13:978-4-409-03124-7 著者は複雑系に関して独自な哲学を構築したことで知られるフランス生まれのユダヤ人(本人の規定によればネオ・マラーノ)社会学者、執筆時101歳。ただし、ウクライナに関する専門的かつ具体的な知識を求める読者は、肩すかしをくらうかもしれない。原題は『戦争から戦争へ 1914からウクライナまで』。第一次世界大戦から現在まで絶え間なく起こる戦争を参照しつつ、ウクライナ戦争を論じる哲学的な考察と言える。前半では、戦争の際に人間がどのような状態に陥り、どのような状況を生きることになるのかが分析され、その後、ウクライナとロシアの歴史関係が概観された上で、和平に向けての提言がなされる。 私たちの多くは、21世紀の文明国同士でこのような戦争が起こるとは想像もしていなかったし、これほど長引くとも予想していなかった。だが、モランは言う。人生には予測不可能なことばかりが起こるのだ、と。この見解は、第二次世界大戦でレジスタンスに身を投じ、その後も数々の修羅場をくぐり抜けてきた人物の言葉だけに重みがある。 現在の戦争の特徴のひとつは情報戦。たしかにSNSやAIの発達により、その規模や巧妙さはかつてないほどに膨れ上がっている。しかし、これに関してもモランは、偽情報や陰謀論が常に戦争の中心にあったことを思い起こす。敵を欺くだけでなく、味方をも欺く虚偽が横行するのが戦争であり、それによってひとはヒステリー状態に陥る。「敵国に責任を負わせ敵国民全体を犯罪者扱いするのは、戦争ヒステリーの錯乱に固有の性格である」。 モランがつねづね主張しているのが、真実を知るためには、複数の情報源を参照すべきということだ。だが、それで十分なわけではない。誤ったソースを複数持っていても役に立たない。その意味で、メディアリテラシーを高めることだけでなく、さらには文脈化を行うことが大切だ。ファクトを知るだけでなく、そのファクトがどのようなコンテクストで語られ、発信されているかを見きわめることが重要なのだ。 「戦争を知らない世代はウクライナで殺されている市民や破壊された家々のテレビ映像を見て当然にも恐怖するのだが、私はそれを見ながら、われわれの軍隊、とくにアメリカの軍隊が行った大量破壊や大量殺戮を思い起こすのである」。そう、フランスの港湾都市ル・アーヴルは第二次世界大戦時に徹底的に破壊されたが、砲弾は味方の連合国、アメリカによるものだった。だからこそ、モランは単純な敵味方の論理に陥ることの危険性を説く。かくして、欧米メディア一辺倒のヴィジョンに頼ることに対して疑義が呈される。もちろん、ロシアの肩を持つわけではない。この戦争を理解するには、善悪二元論はあまりに素朴すぎる。この点が強調されるのだが、日本に住む私たちにとっても貴重な助言である。 日本のメディアは、連日のようにウクライナの戦況を伝え、専門家による分析が加えられる。ほとんど「わが戦争」のようだし、欧米の立場に追随することが唯一の正しいあり方であるような風潮も強い。その一方で、パレスチナ、シリアの問題はほとんど報道されない。アフリカで連続して起こっているクーデターに関しても散発的にしか話題にならない。それはなぜなのか。その意味を真剣に考える必要があることをモランの本は示唆している。 モランは、最終章で停戦に向けた具体的な提言もしているが、その内容は繊細で、安易な要約を許すものではないから、実際に本をあたって読んでいただきたい。評者としては、モランがこの戦争を単体で捉えるのではなく、エコロジー的危機、経済的危機、文明の危機、思想の危機と連動して複眼的に捉えるべきだと指摘する点に蒙を啓かれた。本書が泥沼化するこの戦争を冷静に見つめ直す際に重要な指針を与えてくれることはまちがいない。(杉村昌昭訳)(さわだ・なお=立教大学教授・フランス文学・思想)★エドガール・モラン=フランス生まれの社会学者・思想家。ユダヤ人家庭に生まれ、第二次世界大戦では対独レジスタンスの闘士として活動した。戦後は執筆活動に入り、国立科学研究所主任研究員などを務める。一九二一年生。