共事的なケアと持続可能な抵抗 堀川夢/ 編集者・ライター 週刊読書人2023年10月6日号 世界文学をケアで読み解く 著 者:小川公代 出版社:朝日新聞出版 ISBN13:978-4-02-251929-0 戦いたい。この世界を覆うニヒリズム、資本主義と家父長制、抑圧や規範、「生きづらさ」に抗いたい。でも、誰かや何かを殺したり、踏みつけたり、壊したりはしたくない。戦いの背後にある仕事とそれをする人を無視するのもいやだ。どうしたらいいのだろう。 英文学者の小川公代による『世界文学をケアで読み解く』は、私たちののぞむ、持続可能な抵抗のヒントに溢れた本だ。 本書で著者は、既刊である『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』で取り扱われた「正義の倫理」/「自律的な自己」に対する「ケアの倫理」/「多孔的な自己」などの論点を引き継ぎつつ、小説、映画、漫画などの作品における登場人物の振る舞いや作者の言葉からケアのありかたを引き出し、あきらかにしようと試みる。「世界文学で」と銘打たれている通り、前二冊と比べても、取り扱う作品数は格段に増えている。 『ジェイン・エア』『嵐が丘』で強い意志のもと自分で行動する主人公を描き、お金を稼ぎながらもケアラーとして家庭の状況に常に目を配っていたという、ブロンテ姉妹のエピソードで本書は幕を開ける。第一章でこれまで著者が述べてきた論点を整理しつつケアをめぐる思想史をていねいに紹介したのち、それぞれの章に掲げられる「暴力と共生」「SFと想像力」「有害な男らしさ」「死者のケア」といったテーマのもと、数々の作品が分析され、よりあわされてゆく。『こんな夜更けにバナナかよ』と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のように、著者の慧眼によって思いがけない作品の比較が示される章もあれば、『侍女の物語』の三十年後に続篇『誓願』が書かれたことではじめてあきらかになる登場人物の真意や語り直される連帯を、「ケア」の思想をとおして見つめるパートもある。 『ケアの倫理とエンパワメント』から一貫して、著者の視点は〈ケアの倫理〉のもと行動する者、あるいは他者に向かってひらかれた「多孔的な自己」、病人やマイノリティのような「横臥者」の側に立っている。『世界文学をケアで読み解く』においても、「エッセンシャルワーカー」「女性」「子ども」「妹」「霊魂」「動植物」「サイボーグ」「死者」、ほかにもさまざまな「横臥者」側の登場人物の存在が持ち出される。そして、資本主義的な観点からすると弱い立場におかれているこういった者たちがなんらかのケア実践をしたり、ケアの萌芽といえる経験をする様子が紹介される。 なかでも私は、著者の「魔女」への興味に注目したい。本書では、あらゆる境界を撹乱するカウンターとして「サイボーグ」の存在を打ち立てるダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」や、家父長制と資本主義を「魔女狩り」というキーワードから批判するシルヴィア・フェデリーチの『キャリバンと魔女』が紹介される。これらは、アクティヴィズムとしての側面も持つ現代ウィッチクラフトの実践者によって頻繁に参照され、解釈されるテクストである。また著者は、現在『群像』にて連載中の「翔ぶ女たち」の第三回「魔女たちのエンパワメント――『テンペスト』から『水星の魔女』まで」(二〇二三年九月号掲載)において、〈ガンダム〉シリーズの新作アニメ『水星の魔女』を「魔女」というキーワードから読み解き、「女性たちが精霊の力を借りる物語」、「武力によってではなく、互いにケアしあうことで男性中心的な支配に抗するというテーマがある」と評価している。権力や、抑圧的で排他的な構造に対して従順にならず、しかし征服ではなくケアを志向する者としての「魔女」は、同じ土俵に立つことを拒否したまま抗うための新たな方法論を象徴する存在であるのかもしれない。 これまで、男性に要請された「家庭の天使」としてケアを担ってきた者たち。あるいは、「弱者」「異端」「神秘」「霊的なもの」として例外視され、疎外され、「他者」とされてきた者たち。本書は、この者たちによる叛逆を示唆している。この叛逆はもちろん、〈正義の倫理〉に基づいて行動する「直立者」のやり方のような、自己と他者を分断し力でねじ伏せて相手を叩きのめす、という叛逆ではない。自己を分厚い鎧で覆い、他者を蹴落とし、ケアする者の存在を透明化し、全てを生産性で評価する者たちに対する、彼らが周縁化してきたもの同士で、あるいは彼ら自身、「直立者」的な存在をも巻き込んで、弱いまま、共事的にケアしあう、という「魔女」の手による叛逆である。(ほりかわ・ゆめ=編集者・ライター)★おがわ・きみよ=上智大学外国語学部教授・英文学・一八世紀医学史。著書に『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』、共編著に『文学とアダプテーション2 ヨーロッパの古典を読む』など。一九七二年生。