戦争を好む暴力的存在という悲観論への明快な反論 柿埜真吾 / 高崎経済大学非常勤講師・経済学 週刊読書人2023年10月6日号 戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか 著 者:クリストファー・ブラットマン 出版社:草思社 ISBN13:978-4-7942-2662-4 人はなぜ戦争をするのか。本書は、ゲーム理論に基づく最新の知見に基づき、この謎に取り組んだ優れた試みである。人間は戦争を好む暴力的存在だといった悲観論に対して、著者は理論と証拠に基づいて明快に反論する。意外にも、戦争は紛争の解決手段としては例外であり、通常は選択されないのである。コロンビアのギャングですら殺し合いよりも話し合いを好む。ギャングの抗争で武力衝突に至るのは1000件に1件に過ぎない。「万人の万人に対する闘争」は決して自然な状態ではない。殆どの場合、人類は戦争ではなく、交渉で分け前を手に入れることを選ぶのである。その理由は単純である。戦争は当事者双方に甚大な損害を与え、争いから得られる利益自体が小さくなってしまう。憎みあう敵同士でも、非暴力的に交渉で自分の分け前を確保する方が得なのである。 通説によれば、「貧困や経済危機が戦争を起こす」、「戦争は発展をもたらし有益な場合がある」などとされるが、こうした説明も正しくない。実証研究からは貧困や経済危機が戦争を引き起こすとは言えない。経済が縮小したからといって、戦争を始めても、ただでさえ小さなパイはさらに小さくなるだけである。貧困や経済危機はそれ自体重要な問題だが、戦争を引き起こすわけではない。また、戦争が経済発展をもたらすとも言えない。国同士の競争が進歩につながる場合はあるが、実際の軍事衝突は単に無益な破壊を生むだけで、むしろ経済は衰退する。人類の進歩の殆どは暴力なしに実現しており、わざわざ戦う必要などない。 では、それでも実際に戦争が起きるのは何故か。著者によれば、集団の間での長期にわたる暴力的な争いが発生するのは、5つの要因が関係している。まず、殆どの戦争に関係するのは、指導者のインセンティブの歪みである。例えば、ロシアのプーチン大統領のような独裁者は戦争の利益の大半を手にするが、損失は国民に押し付けられる。指導者の「抑制されない利益」は戦争バイアスを生み出す。また、相手の民族への憎悪等の「非物質的利益」が関係する場合も交渉が成立しにくい。情報の非対称性があり相手の実力や意図がわからない「不確実性」があったり、相手の約束を信頼できない「コミットメント問題」があったりする場合は、戦争が有利な場合がある。さらに、プーチン大統領のNATOの〝侵略〟に対する被害妄想が良い例だが、相手の意図に関する「誤認識」も戦争につながりがちである。 戦争を終わらせ平和をもたらすには、5つの要因に対処し、戦争を思いとどまらせるような変化が重要になる。例えば、対立するグループ同士の経済的相互依存や人的交流の拡大は、戦争の損失を大きくし、平和につながりやすいという。実際、歴史的に見れば、グローバル化による相互依存の拡大と戦争の頻度の低下は密接に関連している。権力の抑制と均衡の制度の発展も、戦争から利益を得る指導者の暴走を防ぐ上で不可欠である。敵対する当事者同士の誤解を解いたり、憎悪を煽るイデオロギーに反対したりする取組、和平の約束の履行を保障する国際介入の役割も重要になる。平和に向けた望ましい変化をもたらすのは困難だが、決して不可能ではない。例えば、認知行動療法(CBT)のプログラムのような小さな取組でも大きな成果を上げたものはある。平和をもたらすには、ユートピア的な壮大な計画ではなく、紛争地域の問題を地道に一つ一つ解決していく「漸進的平和工学」の手法が有効だという著者の主張は説得的である。本書のゲーム理論による分析はエレガントだが、平易に書かれている。紛争地域での著者の体験等の魅力的なエピソードは読み物としても面白い。訳文は読みやすく、専門用語の注釈も行き届いている。本書でウクライナ戦争は扱われていないが、本書の分析は今回の戦争にも見事に当てはまる。戦争と平和を考えるための現代の古典として強く勧めたい一冊である。(神月謙一訳)(かきの・しんご=高崎経済大学非常勤講師・経済学)★クリストファー・ブラットマン=シカゴ大学ハリス公共政策大学院教授・同校開発経済センター副センター長・経済学者・政治学者。暴力、犯罪、貧困に関する世界的な研究は、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナル、フィナンシャルタイムズ、フォーブスなどで広く取り上げられている。