悪しき明晰に不服従の「白」を突き付けるその名 柿内正午 / 会社員・文筆 週刊読書人2023年10月13日号 見ること 著 者:ジョゼ・サラマーゴ 出版社:河出書房新社 ISBN13:978-4-309-20886-2 一九九八年にポルトガル語圏で初めてノーベル文学賞を受賞した作家ジョゼ・サラマーゴが二〇〇四年に発表した『見ること』は、その原題En―saio sobre a Luci―dez(直訳すれば「明晰についてのエッセイ」)に明示されている通り、一九九五年に発表され著者自身ひとつの転換点として位置づける『白の闇Ensaio sobre a Ce―gueira(盲目についてのエッセイ)』の続編である。 ある日なんの前触れもなく目の前がミルク色に覆われ失明するという謎の感染症が発生し、瞬く間に国中に蔓延するという筋書きの『白の闇』は、奇しくも新型コロナウイルスによる混乱の端緒にあった二〇二〇年三月に文庫化され、話題となった。 そして、これもまた偶然に過ぎないのかもしれないが、感染症の実態や対処が当時と比べ劇的に変わったわけでないにも係わらず、少なくない人々がその終息を感じてマスクを放り出し、ある政治家は百年前の大震災のさいに引き起こされた虐殺について記録がないなどと宣い、徴税する国家以外の誰にとっても何のメリットもありえないインボイス制度が、多くの反対にも係わらず開始されんとする、なんとも悲喜劇的な状況にある二〇二三年の夏に本作の邦訳が出たということ自体がおのずと帯びる批評性に思いを馳せないでいるもまた難しいだろう。 すでに二〇年近く前の作品である原著からして、直球の風刺小説である。『白の闇』に描かれた失明事件から四年後、視力の回復した国民たちは当時の凄惨な記憶に蓋をし、何もなかったかのように日々を過ごしていた。この表面的に回復した「正常」は、首都における総選挙で八十三パーセントもの市民が白票を投じるという前代未聞の事件によって破られる。この物語の舞台では白票は有効票として機能しており、大量の白票は明白に政権への不信任の表明であった。立法府は機能不全に陥る。政権を握る右派政党は非常事態宣言を発出し、示された民意を「民主主義の破壊」を目論む反政府運動とみなし、首都を封鎖の上、軍隊や警察を引きあげ、首都機能の移転までやってのける。『白の闇』の読者であれば、このように国家権力によってその保護の及ばない周縁へと隔離された盲目の人々がどのような状況に見舞われたかを思い出すだろう。しかし、政府の思惑とは反対に、統治機能から切り離された元首都の市民たちは、政府も軍隊も警察も必要とせず、粛々と日々を送り続けるのだ。 サラマーゴは人間は失明してなお隣人への気遣いを忘れないというような甘い夢想には溺れなかった代わりに、明晰さを悪用して腐敗していく政治の様相がはっきりと見えている限り、人々はそれに従うほど愚かでもあり得ないという態度を表明してみせている。 このような市井の人々に対する信頼が底にある本作は、前半のスラップスティックな喜劇から一転、後半は三人の警官による疑似探偵小説のような読み口に変じ、どちらも娯楽小説としてもよくできている。けれども、全体のトーンとしてはむしろ前作にも増して陰鬱である。終盤に至り、物語は古典的なフィルム・ノワールよろしく暗い袋小路へと読者を誘うことになる。さんざん無能を暴かれ続けた政府は、その手に独占する暴力を行使して既存の構造の維持を図るのだ。 物語のもつ寓意は、現在この国に住む人々にとって、あまりにも素朴な現状のスケッチのように見えるかもしれない。そういう意味で、目新しさはないともいえる。けれども本作の魅力は、優れた風刺や批評眼に留まるものではなく、なによりもその独特の文体を見事に日本語に置換した翻訳の面白さにこそあると言えるだろう。読点で限界まで引き延ばされる段落、改行せずに同じ段落内で列挙される会話文、どちらも句点の巧みな配置によって不思議と文意を見失わないよう配慮されており、技巧が光る。息継ぎのほとんどないまま、流れるように繰り出される文章は、物語内容を伝達するだけに止まらず、織り込まれるアフォリズムの鋭さや、共話的に溶け合い作用し合うようで決して交わらない人々の孤独を際立たせもする。 もう一つ文体上の特徴として、『見ること』は『白の闇』と同様に登場人物の名前が明示されないまま進行していくのだが、本作ではただひとつの固有名詞が例外的に明かされる。悪しき明晰に不服従の白を突き付けるその名に、評者は強く打たれた。(雨沢泰訳)(かきない・しょうご=会社員・文筆)★ジョゼ・サラマーゴ(一九二二―二〇一〇)=ポルトガル生まれの作家。著書『修道院回想録』『リカルド・レイスの死の年』で数々の文学賞を受賞。『白の闇』は世界各国で翻訳、映画化された。一九九八年ノーベル文学賞受賞。