ルバショウの眼から遮られたのは…… 小野俊太郎 / 文芸評論家 週刊読書人2023年10月20日号 日蝕 著 者:アーサー・ケストラー 出版社:三修社 ISBN13:978-4-384-06027-0 ハンガリー生まれのユダヤ系作家アーサー・ケストラーの名は、現在では、「ホロン」、「要素還元主義批判」、「機械の中の幽霊」などの語句と結びつく。ポストモダニズムからマンガやアニメのタイトルまで、直接間接の影響を与えた。また、コペルニクスをめぐる科学史から、東方ユダヤ人の起源への独自の歴史像まで幅広い著作をもつ。妻との安楽死による最期も含めて毀誉褒貶のある人物だ。 国際的な評価を得たのは、『日蝕』の英訳版で、一九四〇年に発表されたスターリン批判小説『真昼の暗黒』だった。すでに邦訳が三種類ある。戦後に出た『神は躓く』では、黒人作家のリチャード・ライトとともに共産党から離党した経緯を語っていた。反共小説家というレッテルもあった。 英訳版をオーウェルが評価し、『一九八四年』執筆の際に参照したことでも有名だが、二〇一五年にドイツ語原稿が発見出版され、今回岩崎克己により翻訳された。 小説のモデルは、スターリンの指示により、一九三六年から行われ、右腕だったブハーリンらがトロツキー派として粛清された「モスクワ裁判」である。「目的は手段を正当化する」という結論ありきの政治茶番劇だった。みせしめの宣伝効果のある裁判にかける人間を選別し、それ以外は秘密裏に「行政処分」される話が小説内に出てくる。スターリニズムやソ連の記憶は遠くなったはずなのに、世界中で独裁体制とその理不尽な処断が目につくことで関心が再燃するのだ。 ブハーリンやトロツキーを合成した主人公の名もルバショフからルバショウとなり、訳文は平明で、登場する人名や語句への注も充実している。もとがドイツ語だと考えると、「最初の審問」でレクラム文庫の『若きヴェルテルの悩み』が言及されるのも単なる風俗描写を越えたものに思えてくる。また、冒頭の『罪と罰』からの引用箇所が、ドストエフスキーに存在しないという指摘は、過去の記憶とその捏造をめぐるこの物語にとり示唆的であろう。 今さら発表当時インパクトをもったスターリン批判やソ連共産党批判小説として読むのは論外だろうが、オーウェル以来の「反ユートピア小説」という理解もある意味定番である。英訳版のタイトル「真昼の暗黒」はミルトンの詩に由来するが、『すばらしい新世界』のオルダス・ハクスリーが同じ詩から「ガザに盲いて」の語句を採ってすでに小説に仕立てていた。イギリスの読者を念頭に、視覚の不在を強調するタイトルを踏襲したのだろう。仏訳は『零と無限』だった。 「蒸気機関の発明以来世界は永続的な戒厳令下にある」といった刺激的な言葉に満ちた小説全体を結びつけるのは、ルバショウが苦しむ歯の痛みと、独房の壁越しにおこなわれる囚人どうしの暗号通信である。暴力で折れた犬歯の疼痛は、内部から生じる脅威でもあるが、しだいに生活環境が改善し、待遇が良くなると、痛みも消えて告白へと気分が向かうのである。また、囚人番号だけで互いを知らない者が、壁を叩く数字による暗号通信を行う。相手の正体や情報が正しく伝達されているのかを疑わせながらも、伝言ゲームにルバショウが加わっていくのも興味深い。 審問者主任イヴァーノフは生ぬるさから行政処分され、部下だったグレトキンが後を継ぐ。革命運動が論理だけを模倣するグレトキンの世代を生み出したことに、ルバショウは慄くのだ。また、革命運動で「一人称単数」を避ける傾向を「文法的虚構」とルバショウはみなすが、政治小説を捨てた戦後のケストラーが、組織論を越えて、「ホロン」という、上には部分として従属し、下には全体としてふるまう階層レヴェルの探求へと向かったのも当然に思える。同郷の知人マイケル・ポランニーが、経営学や組織論に影響を与えた『暗黙知の次元』を書いたのも、ソ連訪問でブハーリンに批判を受けてのことだった(科学史家中島秀人の指摘による)。 メルロ=ポンティは、『ヒューマニズムとテロル』のなかで仏訳を批判した。彼は、ケストラーもルバショウもグレトキンもマルクス主義とは関係ない、と言い放つ。検討の余地はあるが、それゆえにこそ、ドストエフスキー以来の「観念小説」として読むこともできる。そして、メルロ=ポンティ本の訳者合田正人による解題は、政治小説としての再考に多大なヒントを与えてくれる。 英訳版の舌足らずな部分が補われ、B国つまりドイツのフォン・Zとのくだりなどでの、ナチス・ドイツへの言及が鮮明となった。ケストラーはナチス台頭への反感ゆえにドイツ共産党へと加わったのだが、小説から二つの全体主義の共犯関係さえ浮かび上がる。こうしたルバショウも含めた当事者の行動や対話をめぐり、アーレントが指摘した「悪の凡庸さ」の議論を、通俗的な「組織の歯車」理論へと陥らずに扱えそうである。 冒頭のルバショウが独房に入るところから、読者はこの小説内に監禁され、息を潜めながら最後の瞬間まで見届けることになる。そして『日蝕』というタイトルに思いを馳せるはずだ。ルバショウの眼から遮られたのは、「真理のメタファーとしての光」(ブルーメンベルク)なのか、それとも審問官グレトキンが、ルバショウの体を直接傷めない代わりに眼を苛むのに利用した人工の灯なのだろうか。(岩崎克己訳)(おの・しゅんたろう=文芸評論家)★アーサー・ケストラー(一九〇五―一九八三)=ドイツ系ユダヤ人作家。共産党を離党後、「モスクワ裁判」の被告たちをモデルとした本作をパリで書きあげ、ドイツ軍のパリ侵攻から逃れてロンドンに亡命。逃避行中の混乱のなかで原作は失われ、英語への翻訳版だけが残る。二〇一五年にドイツ語原作原稿が発見された。