評価する「軸」が欠けたアナーキーな文学論 小林成彬 / 横浜創英大学非常勤講師・フランス文学・フランス現代思想 週刊読書人2023年10月20日号 文学の政治 著 者:ジャック・ランシエール 出版社:水声社 ISBN13:978-4-8010-0707-9 「文学」のもつ静かな変動、そして衝撃。私たちは言葉とともにあるのだから、その言葉がこれまでと異質な働きをひそかに始めているのだとしたら、私たちもまた静かにその変容を被らざるを得ないだろう。従って「文学」は、知らぬ間に私たちを撹乱してきたのである。 ランシエールはいくつかの文学論を著しているが、本書『文学の政治』は、ランシエール文学論の手頃な要約としての役割を果たしてくれている。とくに「文学の政治」と「文学的誤解」の二論文は、ランシエール自身によって書かれた自分の文学論の見取り図のようである、『不和』がランシエールの政治哲学を要約し、『感覚的なもののパルタージュ』がその美学のエッセンスを教えてくれるように。この二論文を精読すれば、ランシエール文学論の大体のところは把握できるといえるかもしれない。 ランシエールの文学論は、独特な文学史的理解に依拠している。アリストテレス詩学などによって定義される「古典主義詩学」は十八世紀から十九世紀初頭にかけて転覆され、「文芸」は「文学」へと変貌を遂げた。「文学革命」がそこで勃発し、いわゆる「近代文学」が成立するのである。それによって私たちは「政治的に」どのように変貌を遂げるのか。文学的言語における地殻変動からその「政治性」の賭金を考察していくのがランシエールの基本的なスタンスである。 「文学理論」と呼ばれるものは世に数多ある。テーマ批評、精神分析批評、マルクス主義批評、脱構築批評、フェミニズム批評など、数えはじめればキリがない。いかにも科学的で難解な文学理論たちがすでに私たちの前にはひしめきあっている。切れ味が鋭く、時にはそれですべてが説明できるかのように感じる人もあるかもしれない。しかし、ある程度その理論に馴染んでくると、その教条主義や権威主義にうんざりさせられる人もいるだろう。本書『文学の政治』はそのような中にある人に爽やかな外気を与えてくれるに違いない。様々な「文学理論」を結びつけあるいは切り離し、その分割線の抗争にこそランシエールは文学の政治性の一つを見出しているからだ。本書には実のところ、全てを評価する「軸」のようなものが欠けている。その意味でこれほどアナーキーな文学論もなかなか見当たらない。実際、訳者は本書を訳しながら次の問いが何度も頭をよぎったということだ。「ランシエール自身はいかなる位置に立って思考しているのか。彼は哲学者なのか、美学者なのか、歴史家なのか、あるいは、何か別の者なのか。世界を構成する種々の分割=分配の境界線の存在と、その撹乱可能性、そして新たな分割=分配の可能性をめぐる彼の思索は、いったいいかなる位置に立てば可能なのか」(三九七頁)。ランシエールは文学史の迷宮に入り込み、あちこちに亀裂を見出していく狼藉者である。私たちはそれをとっ捕まえてやろうと、軽快に走り去っていく彼の姿を追う。角を曲がるとそこにあるのは鏡だ。そこに写っている自身の姿を見て驚愕するに違いない。いつの間にか自分自身もまた狼藉者の姿になっているのだから。 最後に本書の最も魅力的な点を挙げておきたい。それはランシエールの「文体」である。文体に肝心なのは「素早さ」だとランシエールはあるところで述べている。「共通言語、その対象、普通の関心事項、質問の仕方、答える仕方等々から、目のくらむ深淵へと移っていくときの素早さ。(…)強烈なエクリチュールとは、広大な空間をそうとは告げずに踏破することのできるエクリチュールです」(『平等の方法』、一六〇頁)。実際、サルトルからアリストテレス、またプラトンへ向かうかと思えば、フローベールやバルザックへと論述は進み、ドゥルーズやベンヤミンに展開していくその手つきは、「博識」の披露とは無縁のものである。本書に収められたマラルメ論では、マラルメの「神秘」がすぐさま労働者の「酩酊」に横滑りしていく。こうした破天荒な思想の運動は、まさしく「エッセー」の醍醐味であり、ランシエールの文章はその魅力に溢れているのである。アドルノが述べているように、エッセーにとって本質的なのは幸福と遊びである。 訳者森本淳生氏の手による訳文は明快で、充実した訳注も嬉しい。訳者解題も教育的配慮が行き届いたものであり、念を押すようにランシエール文学論を俯瞰的に教えてくれている。この翻訳書は、近年の「フランス文学・思想」の翻訳のうちでも模範となるべき書物であろう。(森本淳生訳)(こばやし・なりあき=横浜創英大学非常勤講師・フランス文学・フランス現代思想)★ジャック・ランシエール=哲学者・パリ第八大学名誉教授。著書に『哲学とその貧者たち』『アルチュセールの教え』『言葉の肉』など。一九四〇年生。